アメリカとの決戦場は、ミッドウェーでもガダルカナルでもなく、サイパン。
大東亜戦争の本来の国家戦略は、国力で劣る日本は太平洋方面には深入りせず、赤道や日付け変更線を越えない。
あくまでもその内側で守りを固める。
それがサイパンの要塞化。
東京を空襲し、原爆を投下したB29もサイパン・テニアンのマリアナの航空基地から飛んで来ました。
だからサイパンさえ取らなければ、アメリカに勝てないまでも負けなかった。
サイパンは、海軍の担当地域。
しかし海軍は、これだけ国運を左右する要衝であるサイパンの要塞化を全くやらなかった。
最後に着任したのは、南雲忠一 海軍中将ですが、彼は要塞化に一切 手を付けずにテニスばかりしていた大罪人です。
米軍上陸直前にサイパンに赴任した第43師団長 斎藤義次 陸軍中将は、サイパンのあまりの無防備ぶりにア然としたそうです。
サイパンは、硫黄島より遥かに守りやすい地形です。南雲が要塞化していれば、ここで米軍を足止め出来た。
米軍は、山岳戦が苦手なのです。
事実、要衝化していないサイパンでも、日本軍が内陸部に米軍を引き入れてからは、三週間ほど奮闘しました。
自決直前の斎藤義次 中将は「私は米軍を恨まない。海軍を恨む」との言葉を遺しています。