横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵②

①の続き

…先生は100歳を過ぎても、何と自転車に乗っておられました。 
私、60年後にこんな事は絶対に出来ません。何度もそのお姿を拝見しましたが、驚嘆の他ありませんでした。 
また、先生は正座されても一時間位なら微動だになさいません。

私なんかは正座は全くダメなので、先生の足腰の強さにも大変驚かされると同時に、そのお姿に毅然たる帝国軍人の気概を感じました。 


先生は「天皇陛下…」と口にする時は背筋をピンと伸ばして、柔和な微笑みが一瞬にして鋭い眼光となって居られました。 
 
先生は、二二六事件が起こった年の昭和11年(1936年)12月1日に近衛師団に入隊しました。

12月の入隊は近衛師団のみだったそうです。

昭和13年(1938年)6月1日、陸軍伍長任官。 
昭和13年(1938年)12月1日、陸軍軍曹進級。 

順調に進級を重ね、軍曹進級からちょうど一年後の昭和14年12月1日、南支の広東に向けて宇品港を出向しました。これが初陣。 

奇しくも開戦記念日の同年12月8日。

中国広東省黄浦港に上陸→翁英作戦参加。 
昭和15年(1940年)1月10日、蚊虫山上陸→賓湯作戦参加。 


その後、彼の地でマラリアになり、台湾で治療して大阪布施陸軍病院へ送還。

帰京後は酒保の班長から、近衛歩兵第二連隊 第二機関銃中隊へ。

先生は北海道ご出身で乗馬がお得意なので、近衛歩兵第二連隊長の芳賀豊次郎 大佐を市ヶ谷駅まで馬車でお迎えする役を仰せつかります。 

※③に続く