戦後の日本は、戦没者への「鎮魂」が済んでいない ☆ 横沢史穂

明治生まれの祖父が、陸軍の傷痍軍人でした。百万人の陸軍将兵が敵と戦う前に餓死・戦病死させられたあの戦争。その責任がある山本五十六達の敗戦責任を明確にする事こそ、全戦没者への「鎮魂」ですが、戦後日本は「鎮魂」が済んでいない。更に現代の「毒親」も追及します。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵③

※②の続き

その間に後の奥様との出合いがあり、昭和19年11月3日。明治帝の佳節にご結婚。 

リアル『日本の一番長い日』

終戦の昭和20年8月15日には、辻先生は天皇陛下の直衛で宮城にいました。 
天皇陛下の客殿の前の土手にいたのです。

玉音版奪還の偽の命令が出て、偽命令とは知らずに玉音版を探すグループの中にいました。 
 
いわゆる「宮城事件」であり、辻先生こそまさにリアル『日本の一番長い日』です。 
 
その後、疎開先にいる皇太子殿下(今上天皇)を御守りする為に日光に向かいます。

ポツダム宣言受諾反対」を叫ぶグループが、皇太子殿下を擁して徹底抗戦体制を執るのを防ぐ為です。 
 

命を捨てた気で昭和天皇を守護

近衛師団解体後は、近衛師団中の精鋭からなる『禁衛府』が密かに設立され、辻先生はその一員として、戦中戦後と皇統守護の任に就かれます。 

「全員が命を捨てた気で、銃を持って陛下をお守りしていたました。要するに、戦争が終わったから、米軍はもう命を賭けて戦う気は無いのです。だけどこっちは、命を捨てている。だからマッカーサーはこれを恐れて、米軍も危険を冒してまで皇室に手は出せなかったのです」 

また昭和21年2月には宮城内で宮内省主催の歌会が開催されて、辻先生は昭和天皇の御前で奉唱し、天覧献上を賜る栄に浴します。 

※④に続く