眞野和雄 先生
1931年(昭和6年)生まれ 東京出身
眞野 先生のお話
俺は東京生まれの江戸っ子だよ。
3月10日の大空襲の時はね…
保善学校(現安田学園)の2階に入って助かった。
ただ二葉小学校に逃げた人は蒸し焼き。
プールの中に死体が入ってしまって、同級生も随分死んだ。
浜町河岸には死体がズラッと並んでて、明治座にも多くの人が逃げ込んで大勢死んだよ。
でも日本が勝つと思ってたもんなぁ…。
原爆のニュースを知って初めて「負けるかも」と思った。
それまではどんなに焼け出されても、天皇陛下の為に頑張れ。そうすれば神風が吹く、と信じてたから。
玉音放送はね…。年寄り連中がみんな泣いてた。
でも、負けた瞬間に電気がついたし、B29も来ない。あれはうれしかったなぁ…。
俺も大好き。
あの街並みが戦前の浅草・両国よ。あのまま。
今の日本と昔の日本、どっちがいいか って?
そりゃあ今だよ。今は毎日が正月、天国だよ
え? 俺より年上の人が「今の日本は日本じゃない」と言ったの?
…うん。確かに半分当たってる。半分わかる。
2023年7月15日 聞き取り