横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-21から1日間の記事一覧

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️99歳ゼロ戦パイロット、3の教え

「ゼロ戦パイロットがカッコいいなんて、とんでもない。戦争というのは、想像を絶する生き地獄なんです。私は戦争を憎む」 原田要 先生 1916年(大正5年)お生まれ ゼロ戦パイロットとして、真珠湾攻撃での機動部隊の上空直掩任務に就き、ウェーク島の戦い、…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️ルソンの戦車兵

上ノ山金夫 先生 1921年(大正10年)生まれ。 1944年8月、戦車第2師団 司令部要員として、第14方面軍 戦闘序列に編入。 フィリピン•ルソン島にて、九七式戦車に搭乗し、米軍の来寇に備える。 1945年1月9日、米軍がルソン島に上陸し、日本軍はこれを迎え撃つ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️大陸打通作戦

中学を中退し、陸軍に志願 樋渡強 先生 支那駐屯歩兵第一連隊に配属されて「大陸打通作戦」に参戦した方です。 アッツ島玉砕の報道に接し「彼らだけを死なせるわけにいかない」と決意し、中学を中退して陸軍に志願。 1944年(昭和19年)1月に入隊し、10日後…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️何と、ゼロ戦以前の九六艦戦…

北沖直行 先生 1921年(大正10年)生まれ。 愛媛県内子町ご出身。 北沖先生は、九六式艦上戦闘機のパイロットとして支那事変を戦われた方です。 ゼロ戦ではく、九六艦戦です。ゼロ戦よりひとつ前の機種です。 2017年の時点で、何とご自分でお車をご運転され…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️3年間のシベリア抑留

最近の研究では「105万人抑留、約50万人死亡」と言われる、地獄のシベリア抑留 西倉勝 先生 1925年(大正14年)お生まれ 1945年(昭和20年)6月、北朝鮮•会寧の部隊から関東軍に編入され、ソ満国境地帯で陣地構築に従事。 その後、同年8月18日に武装解除。 1…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️マイナス30℃の重労働

4年間の抑留生活 石井豊喜 先生 1922年(大正11年)お生まれ。 仙台陸軍幼年学校から、陸軍士官学校56期。終戦時、陸軍大尉。シベリアに4年間抑留。 「最も苦しい」「凍傷で鼻が落ちる」と言われるタイシェット•バム鉄道の線路敷設業務に、使役させられまし…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️根っからの慶応ボーイ

神代忠男 先生 1922年(大正11年)生まれ。 慶応大学経済学部3年時に、大学生も学徒出陣で徴兵される事になり先生は覚悟を決めます。 神代先生いわく… 元々うちは、武家なんですよ。 学徒出陣の時、母は心の中は知らないけど、頑張って行って来いと私を励ま…

今こそ、伝えねば…戦争経験者インタビュー⭐️ピカもドンも見た

16歳の見習い看護婦が見た生き地獄 女学校を繰り上げ卒業して、嘱託職員の看護婦として勤務していた当時16歳の服部道子さんは1945年8月6日、爆心地から約3.5キロの地点で被爆。 物凄い風圧と白い閃光に、気を失いました。 太陽の熱が6000度ですが、4000度か…