横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️ルソンの戦車兵

上ノ山金夫 先生

1921年(大正10年)生まれ。

1944年8月、戦車第2師団 司令部要員として、第14方面軍 戦闘序列に編入

フィリピン•ルソン島にて、九七式戦車に搭乗し、米軍の来寇に備える。

1945年1月9日、米軍がルソン島に上陸し、日本軍はこれを迎え撃つ為に出撃。

戦車隊はほぼ全滅し、戦車が無い状態でタコ壺を掘って戦車の機関銃だけで米軍と戦闘。

3月上旬には、ほぼ全滅。

上ノ山先生のお話

日本の戦車の鉄板は薄いの。

アメちゃんの戦車の鉄板は厚いの。こっちが撃っても、みんなハネっ返っちゃうの。

日本の戦車の中に人がいるでしょう。

敵の弾が当たったら、戦車の中で弾が回転するんです。中の人間なんか、みんな熱でドロドロ溶けちゃうよ。

でもアメちゃんが怖いとか、死ぬとか、そんな事はいちいち考えませんよ。

ええ、フィリピンでは負けてるけど、よそでは勝ってて、日本は勝つと信じてました。だからここでも負けられん、と。

戦争に負けた時も、若い将校はまだ戦うと言ってました。

アメちゃんへの恨み?

全く無かったね。

ええ、向こうも見下しません。対等です。

最前線で我々と戦ったアメちゃんの兵隊は戦争終わった時、みんな我々と抱き合いましたよ笑   お互いの健闘を称えて。

2017年12月 聞き取り

…そんな上ノ山先生。

最愛の奥様が亡くなった3ヶ月後の2018年9月25日。

後を追うかの様に、お亡くなりになりました。享年97歳。合掌。