横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️大陸打通作戦

中学を中退し、陸軍に志願

樋渡強 先生

支那駐屯歩兵第一連隊に配属されて「大陸打通作戦」に参戦した方です。 
 
アッツ島玉砕の報道に接し「彼らだけを死なせるわけにいかない」と決意し、中学を中退して陸軍に志願。

1944年(昭和19年)1月に入隊し、10日後には中国に展開する支那駐屯歩兵第一連隊に配属され、その30日後には実戦で戦う事になります。

中国大陸からアメリカの爆撃機が日本本土を空襲しますから、それをさせない為の作戦です。  

樋渡先生のお話

黄河を敵前上陸してから、揚子江にある漢口まで、40日間を昼夜休み無く、戦闘と行軍を続けました。

国民党軍と戦い、やっと3日間の休息をしてから次の作戦に入りました。

敵の飛行場を地上から攻撃して殲滅する作戦に投入されたのです。 
まず飛行場を砲撃してから歩兵が突撃します。 

戦闘は全然怖くは無かったですね。

戦闘する為に志願したわけですから(笑)

「殺すなら殺せ」共産党軍は日本陸軍と同じくらい、根性が入っていた

一度は、敵の幕舎に突入したのに手榴弾が不発だったという事もありました。 
それでも敵は、不発弾と知らずに逃げて行きました(笑)。あれは国民党軍です。 

国民党と共産党軍だと、国民党軍の方が気合いが入っていました。それはもう全然違います。 

捕まっても口割らないですから、共産党軍は。 
「殺すなら殺せ」という感じです。 
日本陸軍と変わらないくらい、根性が入っていました。 
ですから戦後、国共内戦共産党軍は国民党軍に勝ちましたけど、当然だと思いましたね。

戦時中は私達、国の為に戦って来たのに、復員したら価値観が逆転してますでしょ。

「国の為に死ぬなんて馬鹿らしい」っていう風潮で。 
多感な時期でしたから…。

私それで一時期、荒んでいた事もあるんです。 
 
今と昔、どちらがいい社会か、ですか? 
そりゃあ、今の方がいいです。 
今だって悪い部分はありますけど、それを差し引いても今の方が絶対いいです。 
 
戦争は残酷です。平和で豊かな今の社会は有難いです。

2016年8月 聞き取り