横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

大戦末期の日本陸軍の戦略的・政略的大勝利

10倍、30倍、或いは数百倍の敵を粉砕してきた日本陸軍

精神力は、人類最強だったと思います。

どこの国でも、国土防衛の根幹は陸軍。

国軍の主体も陸軍。

陸軍こそ、海空軍の上位に位置すべき「軍種の中の軍種」。

その国の土属性と国民性を如実に表すのも陸軍。

だから「日本陸軍が嫌い」と言うのは「日本が嫌い」と言っているのと同じ事です。

日本陸軍は、海軍によって補給が絶たれた南の島々でこそアメリカ軍に苦杯を喫しましたが、オランダ軍を5日で倒し、イギリス軍には確かインパール作戦以外は大きな負けはありません。フランス軍に至っては問題外でした。

中国大陸では数倍・数十倍の敵を常に蹴散らし(第二次長沙作戦や芷江作戦等の例外を除き)50戦以上、ほとんど連戦連勝。

 

ポツダム宣言受諾の報に接した際の支那派遣軍総司令官・岡村寧次 大将の、

「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、いかなる場合にも、絶対に承服しえざるところなり」

という電報こそ、支那派遣軍将兵の心境を代弁していると思います。 

大陸打通作戦で、アメリカは中国大陸からの日本空爆を断念

アメリカに捨てられた蒋介石は、何と、日本にすり寄り始めた

健軍以来最大の50万人もの兵力を動員して日本陸軍最後の大攻勢となった作戦距離240キロに及ぶ「大陸打通作戦」も、倍の敵を相手にした日本陸軍の勝利でした。

※「大陸打通作戦」は昭和19年4月17日から12月10日まで繰り広げられました。
 
大陸打通作戦」の結果、政略的に非常に大きかった影響がひとつあります。 
 
米国のルーズベルト大統領は、開戦前から中国の蒋介石を強く信頼して非常な肩入れをしていましたが、この「大陸打通作戦」で蒋介石率いる中国国民党軍が総崩れとなり、ル大統領は長年のその誤った考えをついに改め、蒋介石を見限り始めます。
(そもそも、ル大統領としては蒋介石への援助が大東亜戦争の遠因の一つだったのですが、これでは何の為に日本と戦争したのかわかりません。皮肉なものです)

これ以降、蒋介石は「ヤルタ会談」「ポツダム会談」といった連合国の重要会議に招かれませんでした。

つまり、カイロ会談に参加した連合国の鼎の一が崩れ去ったのです。 

そして、あれほどまでに「日本の無条件降伏」にこだわったル大統領が、強硬な態度を軟化させ始めます。

ここで生まれた対日政策の軟化が、翌年のポツダム宣言にある「日本人を民族として奴隷化しようとしたり、または日本国民を滅亡させようとする意図を持っていない」や、パーンズ回答文にある「日本国政府の最終形態は、ポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである」という文言の根底にまで流れていると、私は個人的に考えています。 
 
 とにかく「大陸打通作戦」での日本陸軍の勝利は、米国の根本的な政策を変えるほど大きな影響を残したのです。

日本陸軍の業績を、日本人が掘り下げなかったら、誰が掘り下げるのでしょうか。