4年間の抑留生活
石井豊喜 先生
1922年(大正11年)お生まれ。
仙台陸軍幼年学校から、陸軍士官学校56期。終戦時、陸軍大尉。シベリアに4年間抑留。
「最も苦しい」「凍傷で鼻が落ちる」と言われるタイシェット•バム鉄道の線路敷設業務に、使役させられました。
日中でもマイナス30℃にもなる中、人跡未踏の林野をひたすら伐採する作業です。
石井先生のお話
夜になると、最初の頃は、猛吹雪の中を雪の上にテントを張り、その中で眠っていました。
マイナス45度よりも下がったら、作業ストップ。そんな所に出てったら死にますよ。
シベリヤで一番苦しかった事ですか?
希望がないでしょう。帰れる希望がない。
或いは「誰の為の労働か」という目的がない。これ以上、みじめなものはないですよ。
日本軍人の誇りは隠してないですよ。
向こうとしても、ソ連に協力する兵隊はすぐに帰してくれるんですが、私みたいに逆らってる人間は後回しです。
だから普通は2年で帰れるのに、私は4年もいたんです。
あの国は密告社会なんです。仲間を売った人間ほど、上の覚えがめでたくなる。
日本人は情けないな、と思いましたね。
ドイツ人は騎士道でやり合ってるから「今回は負けたけど、そのうちロシアをやっつけてやる」と、そういう意気込みでした。日本人は初めての負けだから、そこまでの気概の人が少ない。
2018年1月 聞き取り
…その石井先生。2018年にガンで入院され、私は何度か病室にお見舞いに伺いました。
そこでの私との会話。
「我々は士官学校を出た時から、死生観は出来ていますし、死については達観してますよ。戦争で我々の仲間が大勢死んでますからね。まあ、ガンと言われたら、普通はあと半年ですよ。あなたそう思わない?(笑)」
「そんな事をおっしゃらないで、長生きして下さい。
ところで、陸軍士官学校の校長であった牛島閣下や、陸軍大臣だった阿南閣下の魂は、今でも石井先生の胸の中で生きていますか?」
「生きてます。牛島さんも阿南閣下も立派な方です」
「石井先生は牛島チルドレン、阿南チルドレンですね(笑)」
「お二人は立派な武士です。横沢さんも、武士道精神を持って下さい。これ、私の遺言です」
というお言葉をいただきました。
そんな石井先生…。
2018年9月4日。
牛島閣下と阿南閣下の元へ旅立たれました。
70数年ぶりに、師弟の再会を果たされたと思います。享年97歳。
安らかにお眠り下さい。合掌。