横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こせ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️満蒙開拓青少年義勇軍

 

今村真 先生

1924年大正13年)生まれ。
満蒙開拓青少年義勇軍

陸軍憲兵

関東軍憲兵司令部

 

1939年(昭和14年)4月、満蒙開拓青少年義勇軍に入る。

1942年秋、開拓地に入ります。

1944年(昭和19年)3月、志願して満州孫呉の第一師団野砲兵第一連隊に入隊。

1945年(昭和20年)4月、関東軍憲兵司令部科学捜査班に。

1945年(昭和20年)8月20日奉天北稜で捕虜に。

関東軍の身分を隠す事は最初から出来ず、中央アジアウズベキスタンに抑留。

1950年(昭和30年)2月、復員。

 

まず、戦前の長野の貧しさからお話を聞きました。

今村先生は、長野県川路村から開拓に向かいましたが、3割方が亡くなったそうです。

国策で満蒙開拓団を送り込んでおいて、最後に大勢の方達が亡くなったのを、終戦時の海軍大臣 米内光政は「天佑だ」と喜びました。

私は米内のこの発言だけでなく、この発言を賛美する戦後の作家に対しても、憤りを感じる。

今村先生のお話

八紘一宇と言っても、やっている事は強盗。

都市部ではなく周辺部に送られた開拓団の周りにいるのは、日本人に土地を盗られた人達。

結局あとで、襲撃されている。

2019年12月 聞き取り