今村真 先生
陸軍憲兵
1942年秋、開拓地に入ります。
1944年(昭和19年)3月、志願して満州・孫呉の第一師団野砲兵第一連隊に入隊。
1945年(昭和20年)4月、関東軍憲兵司令部科学捜査班に。
関東軍の身分を隠す事は最初から出来ず、中央アジア・ウズベキスタンに抑留。
1950年(昭和30年)2月、復員。
まず、戦前の長野の貧しさからお話を聞きました。
今村先生は、長野県川路村から開拓に向かいましたが、3割方が亡くなったそうです。
国策で満蒙開拓団を送り込んでおいて、最後に大勢の方達が亡くなったのを、終戦時の海軍大臣 米内光政は「天佑だ」と喜びました。
私は米内のこの発言だけでなく、この発言を賛美する戦後の作家に対しても、憤りを感じる。
今村先生のお話
八紘一宇と言っても、やっている事は強盗。
都市部ではなく周辺部に送られた開拓団の周りにいるのは、日本人に土地を盗られた人達。
結局あとで、襲撃されている。
2019年12月 聞き取り