横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️阿鼻叫喚の地獄絵図①

生きたくても生きられなかった人達の叫び声

よりにもよって、光輝ある帝国陸軍奉天会戦での戦捷を祝う3月10日の陸軍記念日を狙っての無差別爆撃に、私は昔から憤りを感じておりました。

しかし、当時、戦地ではなく銃後にいて主に小学生・中学生だった方達も今や高齢化し、お話を聞ける機会も随分少なくなりました。

そこで、70年目にあたる2015年を期に、墨田区横網町公園や浅草言問橋を始め、各地の慰霊祭に参加させていただき、たくさんの方達からお話をお聞きしたのですが…。

改めて浮かび上がって来たのは、平和な現代日本に生きる我々の、想像を絶する阿鼻叫喚の地獄絵図でした。

3月10日の大空襲以前の東京は、極寒の中で都民は毎晩の警戒警報と空襲警報で起こされ、多くの人達が極度の寝不足と空腹に悩まされていたそうです。

そんな寒さと寝不足と空腹の上にやってきた、あたり一面1400度の灼熱地獄…。

鉄が誘拐して液状化する温度が1500度ですから…。

私が複数の東京大空襲経験者から聞いた話を総合すると「炎という大海原に巻き込まれている」という表現が近いと思います。

それも、荒れ狂う大海原です。炎の暴風雨。元々当日は強風が吹いており、火災による渦巻きと相まって、人間が立っていられないほどの炎の突風が荒れ狂います。

「炎が炎を呼ぶ」という表現をされた方もいます。

炎死に加え、酸欠や一酸化炭素中毒による窒息死…。 

風が猛火を起こし、顔を上げた瞬間に炎の突風によって体ごと吹き飛ばされ、炎の上昇気流に巻き込まれ、眼前で女子供が、家族が、骨の芯まで焼き殺される火炎地獄…。

10万人の一般市民が炎の台風に巻き込まれ、炎の大海原に翻弄されて、炭化するまで焼かれ、焼かれ、焼かれ、また焼き殺されました。

この時に使われたM69にはナパーム(ゲル化ガソリン)が剤として含まれており、飛び散って人体に付着したゲル状の剤の炎は消える事はなく皮膚を外から焼き続け、黄燐焼夷弾は人体の内側から呼吸器を燃焼しました。

東京大空襲は天災ではなく明確な人災であり、日本人なら絶対に忘れてはいけない歴史です。

※②に続く…