政治活動でも思想運動でもそうですが、
「自分と価値観が違う相手に対し、寛大でなければいけない」
と思います。ですから、
「自分なりの歴史観や価値観を押し付ける事」
「自分なりの正義感で相手を裁く事」
は、厳に慎まなければいけない。
「自分なりの正義感に基づいて、反対意見者を激しく糾弾する人」
というのは、劣等感なりトラウマなり、何か心に闇があると思う。
保守でも革新でも、話を聞いていると、それぞれに素晴らしい着眼点がある。
だから、片一方の極に傾くのではなく、それぞれのいい所を取り入れればいいのです。
二元対立的なイデオロギー闘争ではなく、つまり「善か悪か」で戦うのではなく、「足して2で割る」というのが、正反合の高い精神性だと思います。
「右翼か、左翼か」という二択の判断基準も、冷戦時代までの判断基準です。
この思考法は、「○かXか」のマークシート式の受験勉強の弊害です。人間の思考なんて、そんなに単純ではありません。
そしてどうしてもその人が嫌なら、相手のいい部分だけ見て嫌な部分を見ないで付き合えばいいのであって、それでもどうしても嫌なら、裁いたり糾弾をしないで、黙って離れていけばいいのです。
「相手を裁く権利」なんかありません。
ある神主の方いわく…。
これからの時代は、
「自分なりの正義感を主張する人」
ではなく、
「そばにいると心が温かくなる人」
に宇宙の後押しがある、との事でした。
「ではどうしたらそういう人になれますか」
と私が聞いた所、
「その場にいる、一番弱い立場の人の気持ちに寄り添う事」
との事でした。