横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

幼児期に「男性性」を剥奪された三島由紀夫 先生

仮面の告白』というタイトルの意味

「私(祖母)以外の誰かを慕ってはいけない」
「性の自立は許さない」
「大人になるな。いつまでもか弱き子供であれ」
ネバーランドのピーターパンであれ」

幼い頃の三島先生(少年・平岡公威)は自己喪失した祖母の甘え・依存を是面に引き受けて、祖母からこの様な無言のメッセージを日々受け取っていたのです。

これでは、「自分は生きていい価値のある人間だ」という、健全な自己肯定感など育まれるハズがありません。

周囲への気遣いによってしか生きられない少年。
自分の素直な意見を表出したら祖母がヒステリーを起こすのですから、自分の本当の意思を隠して、子供ながらに仮面をつけて生きていかなければいけません。
祖母と孫(三島少年)との関係は、さながら看守と囚人の関係。

家庭という名の強制収容所

本来、子供にとって安全地帯の家庭が、セーフティーネットであるはずの家庭が、三島先生の場合は収容所と化していました。

三島先生は人格形成期にあたる12歳まで、祖母の部屋で起居していたので、三島少年にとって「父母」や「父性愛」「母性愛」は不在です。

三島少年が祖母によって苦しめられている時に、実父も実母も助けに来てくれなかった。

「僕が今夜暗殺しようとしているのは、僕の父なんです」(戯曲『鹿鳴館』より)

作品にこういうセリフが出てくるのも、むべなるかな、です。

要するに三島先生は、幼児期に両親の愛を受けていないのです。

幼少期に祖母によって男性性を剥奪され、
幼児期に刻まれた「男性失格」の烙印は、
そう簡単に拭えない

まず、幼少期の三島少年は、祖母によって男性性を剥奪され「男」としての自尊心はズタズタに引き裂かれました。

後年の三島先生の幾多の作品に見られる、女性との性体験やその際の男性不能に対する偏執、或いは「男らしさ」や「武士道」といったマッチョなものへの非常なこだわりは、ここから来ていると私は思います。

また、同性愛への傾斜や、女性への愛憎入り混じる感情、親殺しの感情といった、多くの三島作品の根底を流れるあの狂気性も、同じくこの成育環境に由来するのは間違いない。
と思いますが、皆様はどう思われますでしょうか。
 
要するに三島先生は、「男性性」を剥奪されて生き地獄であったであろう子供時代を、後年まで引きずっていたのです。

つまり、三島先生が終生、男性性的なものへの憧れやこだわりを非常に強く持ち、美意識が屈曲しているのは、「幼児期に祖母に偏愛的・去勢的な育てられ方をした為」だと私は確信しています。