『仮面の告白』というタイトルの意味
「私(祖母)以外の誰かを慕ってはいけない」
「性の自立は許さない」
「大人になるな。いつまでもか弱き子供であれ」
「ネバーランドのピーターパンであれ」
幼い頃の三島先生(少年・平岡公威)は自己喪失した祖母の甘え・依存を是面に引き受けて、祖母からこの様な無言のメッセージを日々受け取っていたのです。
これでは、「自分は生きていい価値のある人間だ」という、健全な自己肯定感など育まれるハズがありません。
「性の自立は許さない」
「大人になるな。いつまでもか弱き子供であれ」
「ネバーランドのピーターパンであれ」
幼い頃の三島先生(少年・平岡公威)は自己喪失した祖母の甘え・依存を是面に引き受けて、祖母からこの様な無言のメッセージを日々受け取っていたのです。
これでは、「自分は生きていい価値のある人間だ」という、健全な自己肯定感など育まれるハズがありません。
周囲への気遣いによってしか生きられない少年。
自分の素直な意見を表出したら祖母がヒステリーを起こすのですから、自分の本当の意思を隠して、子供ながらに仮面をつけて生きていかなければいけません。
祖母と孫(三島少年)との関係は、さながら看守と囚人の関係。
家庭という名の強制収容所
自分の素直な意見を表出したら祖母がヒステリーを起こすのですから、自分の本当の意思を隠して、子供ながらに仮面をつけて生きていかなければいけません。
祖母と孫(三島少年)との関係は、さながら看守と囚人の関係。
家庭という名の強制収容所
三島先生は人格形成期にあたる12歳まで、祖母の部屋で起居していたので、三島少年にとって「父母」や「父性愛」「母性愛」は不在です。
三島少年が祖母によって苦しめられている時に、実父も実母も助けに来てくれなかった。
「僕が今夜暗殺しようとしているのは、僕の父なんです」(戯曲『鹿鳴館』より)
作品にこういうセリフが出てくるのも、むべなるかな、です。
要するに三島先生は、幼児期に両親の愛を受けていないのです。
幼少期に祖母によって男性性を剥奪され、
幼児期に刻まれた「男性失格」の烙印は、
そう簡単に拭えない
まず、幼少期の三島少年は、祖母によって男性性を剥奪され「男」としての自尊心はズタズタに引き裂かれました。
後年の三島先生の幾多の作品に見られる、女性との性体験やその際の男性不能に対する偏執、或いは「男らしさ」や「武士道」といったマッチョなものへの非常なこだわりは、ここから来ていると私は思います。
まず、幼少期の三島少年は、祖母によって男性性を剥奪され「男」としての自尊心はズタズタに引き裂かれました。
後年の三島先生の幾多の作品に見られる、女性との性体験やその際の男性不能に対する偏執、或いは「男らしさ」や「武士道」といったマッチョなものへの非常なこだわりは、ここから来ていると私は思います。
また、同性愛への傾斜や、女性への愛憎入り混じる感情、親殺しの感情といった、多くの三島作品の根底を流れるあの狂気性も、同じくこの成育環境に由来するのは間違いない。
と思いますが、皆様はどう思われますでしょうか。
要するに三島先生は、「男性性」を剥奪されて生き地獄であったであろう子供時代を、後年まで引きずっていたのです。
つまり、三島先生が終生、男性性的なものへの憧れやこだわりを非常に強く持ち、美意識が屈曲しているのは、「幼児期に祖母に偏愛的・去勢的な育てられ方をした為」だと私は確信しています。