横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

三島由紀夫 文学の根底に揺曳する「親殺し」と「狂の精神」について

狂気性を帯びた、自己破滅型の天才

 
そもそも、三島先生の根底にあるのは、暗く歪んだ生育環境に由来する狂気性であり、その歪んだ成育環境で、自己喪失した祖母によって刻まれた「男性失格者」の刻印だと思います。

そして、そこから派生する親への復讐、「親殺し」の感情。
小説、戯曲を問わずどの作品を読んでもそれを感じます。
※私が読んだ三島先生の小説の中で、全くそれを感じなかったのは、古代ギリシャの散文作品『ダフニスとクロエ』を模して描かれた純文学『潮騒』だけです。

正しい狂気 狂愚誠愛

そもそも、芸術作品に必要なのは「狂」の精神であり、陶酔と激しさです。
デュオニュソス的な狂える魂。

三島先生はこれを「正しい狂気」という表現で、人生における狂気性を肯定しています。

この狂気性こそ、天才を育む揺籃
文学者や芸術家と言うのは、皆狂っている

しかし、狂っているものは人をうならせて、人を惹きつけるのです。
普通の日常生活からは、素晴らしい芸術作品は生まれません。

近代人が絶対視する「理性」「理論」などは、人間存在のごく一部。
「理性」や「理論」を超えた所に、未知なる大きな可能性が秘められていると思います。
 
この「狂」について三島先生は、「狂気が今や精錬されて、狂気の宝石にまで結晶して、正気の人達の知らぬ人間存在の核心に腰を据えてしまう」という表現をしています。
(よくぞこんな見事な表現が思いつくものだと思いますが)

例えば、その線を越えると全てが崩壊してしまうという危険な一線があるとして、普通の人はどんなにギリギリまで行って「越えるフリ」をしても絶対に越えないで帰って来るけれども、まれにその一線を本当に越えてしまう人がいます。

それこそが、狂気性を帯びた天才肌の芸術家や表現者に多いタイプですが、三島由紀夫 先生はまさにそれ。
三島先生のその狂気的な天才性は、間違いなく幼児期の歪んだ家庭環境・愛情欠乏感から育まれたものです。