横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

先の大戦で大敗した指導者達には、破滅願望があったのでは…

国全体が潰れたら、自分一人のミスは問われない…

 

ミッドウェーで大敗した山本五十六が戦略度外視のガダルカナル島の戦いを陸軍に強行させて、食料や武器弾薬をほとんど送らず、即ち2階に上げてハシゴを外して陸軍に大敗北させたのは…。

 

ガダルカナル島日本陸軍が大敗したら、ミッドウェー海戦の自身の大ミスの影が薄れる。

 

「ほらね、アメリカには勝てないって、私は最初に言ったでしょ」

というアリバイ作りで自分自身のメンツは保てる。

 

これが私の推測ですが、こういう心理は、「父親が薩長に殺された」恨みが染み付いている山本五十六だけではなく、他の指導者達にも見られます。

 

みんな幕府側(賊軍)の子孫…

 

海軍なら米内光政、井上成美、南雲忠一、陸軍なら服部卓四郎、辻政信瀬島龍三…。

 

日本の敗北に決定的に重要な役割を果たした上記の指導者達は皆、明治維新戊辰戦争時の幕府側(奥羽越列藩同盟)またはそれに近い藩の出身者です。

 

明治以降に「賊軍の子孫」として差別された彼ら達が、「憎き薩長が作った大日本帝国」という機構に対してストレートな愛情を抱いていたとは、考えにくい。

 

ズバリ、今の一部の人達と同じで、彼らの根底に「こんな国、一度滅んでしまえ」というルサンチマン(怨念)があったと、私は見ています。

ミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦いに限らず、大東亜戦争でのあの自滅的な幾多の作戦は、そうとしか説明がつかない。

海軍上層部の官僚的な腐敗は、日清日露にまでさかのぼる ①

海軍は明治以来、少数で勝つには「機先を制して不意をつく」を骨子としました。

 
日露戦争時の海軍大臣 山本権兵衛は、艦隊の奇襲による開戦を主張したので、権兵衛でさえ戦争の勝敗が艦隊決戦で決すると考えていたフシがある。
私はここで繰り返し述べていますが、海軍は動員が容易だからすぐに戦端を切れますが、陸軍は動員に時間がかかる。
その辺で陸海軍の認識が違うのだと思いますが、戦争の勝敗を決するのは艦隊決戦ではなく、陸上決戦において、です。
 
ナポレオンがイギリスに負けたのは、トラファルガーの海戦ではなく、ワーテルローの戦いに敗れたからです。
 
日露開戦3ヶ月後の1904年(明治37年)5月。
日本軍は東清鉄道 南満支線を爆破したので、既に旅順を孤立化させていました。
だから、陸軍に多大な出血を強してまで、急いで旅順を陥落させる必要は全くなかったのです。
封じ込めておくだけで良かったかも知れない。
 
しかし、「バルチック艦隊が旅順艦隊と合流されたら困る」と焦る海軍が急遽、陸軍に対して旅順占領を強く要請しました。
ですが、陸軍の指摘通り、バルチック来寇の時期に関する海軍の予測は完全に外れており、半年ほどズレていました。
 
そもそも、旅順は海軍の担当範囲であるので、旅順に関する情報も海軍が集めていました。
 
そして開戦時には旅順要塞は半分くらいしか完成していなかったので、海軍が「縄張り意識」を捨ててもっと早く陸軍に攻撃要請をしていれば、同じ攻略するにしても、陸軍将兵のあそこまでの莫大な死傷者を出さずに済んだ事でしょう。
…とに角こちらとしては、湾内に引きこもって出て来ない旅順艦隊を、湾内から引き出さないとダメ。
 
乃木はそれを、第一回旅順総攻撃が行われた1904年(明治37年)8月までにやりました。
乃木軍ならびに乃木軍と共に行動していた海軍の夜戦重砲隊が旅順要塞を砲撃し、それによって湾内から出てきた旅順艦隊と日本の連合艦隊が戦い(黄海海戦)、この結果として旅順艦隊は壊滅しました。
 
山本権兵衛は乃木に感謝していました。
しかし、日本海海戦によりイギリスにつぐ世界第2位の海軍国となった後、山本権兵衛以下の海軍はアメリカを仮想敵国にしました。
海の向こうのアメリカに、太平洋を越えてまで日本を侵略する意図はありません。
これ以降、海軍が唱えたアメリカ脅威論は、予算獲得の為の方便に過ぎませんでした。

戦後の日本は、物は作っても精神は作って来なかった

本来の教育とは

知識の前に「精神」を教えるべし

 

あくまでも主観ですが私は、今の学校等で教えられる「自由」という言葉が、どうも好きになれない。

 

そもそも憲法で使われる「自由」というワードは、「国家権力の暴走から国民を守る」という意味であり、社会の秩序や倫理道徳を乱したり、誰かを傷つける「自由」は許されません。    

 

それに、何よりも「自由」には責任が伴います。

 

今の子供は、目が釣り上がっている子が多い

 

しかし、今の学校で教えられる「自由」とは、「欲望の無限解放」「義務なき単なる自分勝手」の別名な様に、私には見える。

 

なぜ、年端もいかぬ思春期の青少年に、義務や責任や倫理道徳を教える前に、欲望の解放を先に教えるのでしょうか。

 

人間は生まれたままでは悪ではないが、キチンとしつけないと、或いは倫理道徳を教えないと、その子は悪になります。

 

義務や責任の前に「自由」を教えられた子は目が釣り上がり、行き着く先は己の我欲を最優先する欲望追及の修羅道を歩む事になるのでは、と私は思っている。

海軍大学校のゆがんだ教育 ⑩

「海軍とは海軍兵学校出身の現役将校団なり」

                     日露戦争時の海軍大臣 山本権兵衛   
 
海軍の将校の仕組みを述べます。
海軍のハンモックナンバーとは、海軍兵学校3年間の在校中のありとあらゆる事が点数化され、一番から順番に番号を振られ、何とそれがその後 何十年に及ぶ出世•序列の全てに反映されるのです。
 
陸上から隔離された特殊な閉鎖的な世界で、その中でもクラスのトップグループの成績優秀者。
一クラス平均で16%が行く海軍大学校の出身者が海軍の中枢に就く事になります。
 
ただでさえ倍率20倍を突破してくるわけですから、受験エリート中のエリートです。
 
海軍大学校では人格陶冶・人間形成教育はほとんどなく、教わるのは「艦隊決戦に勝つ為の戦術」ばかりでした。
つまり、各級指揮官から独創性を奪い、 「上から言われた事に要領よく従う人間」が高い評価を受けるという、典型例な官僚の世界です。
 
だからこそ、人によっては抜き差しがたい特権意識が肥大化する。
 
レイテでも菊水一号作戦でも、部下達に戦艦大和で裸で突撃させる等は、特権意識のみ肥大化した、完全にバランスを失っている証拠です。
 
大和の水上特攻に関しては「行った人の偉大さ」「作戦を立てた人間の愚かさ」この両方を見ないといけない。  

海軍大学校のゆがんだ教育 ⑨

海軍兵学校を出れば 一生安泰」密室の終身雇用  


20倍という倍率を突破して、海軍兵学校からさらに選ばれたエリートが進む海軍大学校の教育は「考える教育」ではなく「暗記する教育」。 
 
つまり金太郎飴の様に同じタイプの人間が大量生産される偏った教育。
 
という事は、何度かお伝えしました。
 
理数系の受験エリートである、この偏って硬直した官僚達が海軍の将官として大東亜戦争を指揮し、国を滅ぼしたのです。
 
学校で学んだ勉強の内容が実社会に必ずしも適用しないのと一緒で、海大の教室で学んだ教科書の内容は、柔軟でプラグマティズムな米海軍には通用しなかったのです。
 
連合艦隊参謀長を長く務めた最高幕僚たる福留 繁からして、海軍大学校で学んだ艦隊決戦の思想が抜けなかったのは明白。
レイテ沖海戦や菊水一号作戦で、戦艦大和以下の艦隊に空からの護衛をつけずに突っ込ませたのはその証です。
 
また、連合艦隊司令部が真珠湾攻撃でもミッドウェー海戦でも奇妙、と言うより異常なのは空母の護衛に、まともな対空兵装はほとんど、もしくは全くない駆逐艦で事足れりとして、必要な重巡はほとんど出撃させなかった点です。
そして日本の重巡は、その多くが海戦以外で沈んでいきました。
 
また、ミッドウェー海戦で、ゼロゼロが敵の雷撃機を撃墜している隙にSBDドーントレスが急降下で日本の4隻の空母を爆撃したのを見てもわかる様に、日本海軍は、と言うより山本五十六の戦術観が、雷撃重視なのです。 
 
こういう所にも「思考の偏り」を垣間見る気がします。
 
慟哭なしには書けない…
 
また、海軍大学校で教えている内容が、敵艦隊を日本近海で迎え撃つ漸減邀撃作戦だから、連合艦隊司令部は潜水艦による通商破壊は考えなかった。
 
「敵の潜水艦から味方の輸送船団を守る」
「味方の潜水艦で敵の輸送船団を攻撃する」
 
何と連合艦隊司令部は、これを全く考えないで戦争を指導していたのです。
恐るべき事です。
 
それにより、数百万トンのこちらの輸送船が沈没。
20〜30万人の陸軍将兵が、戦わずして輸送船ごと水没しました。
大変な不作為であり、万死に値します。
 
海軍兵学校海軍大学校の教育に「戦略」は無い
 
これはマハンの影響ですが、海軍大学校では戦術、戦技レベルの教育しか施していない。
つまり「スペシャリスト」は育成しても、「ジェネラリスト」を育成していない。
 
実際に日本海軍は、平面的な戦術•戦技レベルでのみ戦ったのです。
一方アメリカは、日本軍人のマインドを「マーケティングリサーチ」して、社会学者や心理学者まで動員して立体的・複合的な戦いをしました。

 

日本海軍は情報を軽視し情報なしで戦争をした』            

    軍令部(対アメリカ)情報担当   実松 譲 海軍大佐

 

偏った「戦争屋」が出来るのが海軍大学校の教育。

それは山本五十六シンパの実松 譲でさえ言っている。

 

戦争には、敵と直に撃ち合うハード面と、情報•輸送•補給等のソフト面があります。

しかし海軍大学校で学んだ連合艦隊司令部は、敵との砲撃戦といったハード面のみ重視して、何とソフトを考慮しないで戦争指導をしていたのです。

 

その「海軍の敗戦責任」は戦後、追及される事はありませんでした。

これでは戦没者が報われません。

海軍上層部の大罪 24

海軍首脳部は皆、日独伊三国同盟に反対した」

「その三国同盟を結んだからアメリカと戦争した」

 

いずれも嘘です。

山本五十六は日独伊三国同盟を結ぶ半年前の1940年4月には、日露戦争以来の国家戦略を勝手に大転換する真珠湾攻撃を、連合艦隊参謀長の福留 繁に示唆しています。

 

また、日独伊三国同盟締結時の吉田 善吾 海軍大臣三国同盟の賛成派でした。

アメリカにはドイツ系が多いから即戦、にはならぬ」

という判断です。

 

それに、対米戦に結びつく大きな契機は、1940年9月の日独伊三国同盟締結ではなく、1941年7月の日本による南部仏印への進駐です。

 

ですから、「陸軍が日独伊三国同盟を推進した為にアメリカと戦争になった」という通説は、大間違いなのです。

 

戦略なき海軍

 

第一、海の向こうのアメリカには、日本侵略の意図はない。

しかし日本海軍は日本海海戦山本権兵衛以来、アメリカを仮想敵国として「アメリカの脅威」を喧伝して来ました。

これは「国家の為」と言うより、ほとんど予算獲得の為の口実です。

 

どうして戦前の日本人が、働いても働いても貧しかったのか。  

それは軍備、特に海軍力に異常なお金を注いでいたからです。

「軍艦で国が沈む」と言われるほど国家予算を占有したのが、日本海軍です。

それ以来、海軍上層部はアメリカやイギリスを敵視し続けてきたのです。

 

だから、長年に亘って(勝手に宿敵視してきた)アメリカに一発ガツンとやりたかった。

この辺りが本音だと思います。

 

イギリスが日本海軍の育ての親ですから、「英米に愛憎入り混じる感情」とでも言えばいいのでしょうか。

そして戦後は「敗戦責任」を全て陸軍に押し付けて、自分達の責任についてほっかむりしたのです。

 

何より、海軍省連合艦隊司令部も、官僚機構。

そこでは、武士道精神や特攻精神は邪魔なんです。

官僚機構で生き残って出世する為に必要なのは、武士道精神ではなく、自己保身、隠蔽体質、責任回避、自分達の利益優先…

 

日本海軍も御多分に漏れなかった、という事です。

真珠湾攻撃を計画した連合艦隊司令部の愚かさ ④

真珠湾攻撃なんて、

戦略無視・外交無視の日本自滅の引き金 

 

真珠湾攻撃で沈んだ戦艦の高さが何メートルだったのかは知りませんが、例えばアイオワ級の3番艦として1944年に就役した戦艦ミズーリは、高さが66メートルです。

真珠湾は水深が12メートル。

 

つまり、戦艦を沈めても「艦橋の大部分が水面から出た状態で着底するだけ」なのです。

 

1を得て100を失った真珠湾攻撃

 

真珠湾攻撃をやったが為に、同胞たる10万人の日系人達はカリフォルニアの収容所に入れられ、アメリカに築いてきた諜報網も完全に壊滅しました。

 

事前に、そういう事に思い至らなかったのでしょうか。

 

大東亜戦争山本五十六の戦争 

 

真珠湾攻撃を計画した連合艦隊司令部というのは、頭が偏っています。

 

連合艦隊司令部は、日米の軍艦の排水量の比率を日本有利にする為に真珠湾攻撃を計画したわけですが、受験競争の申し子と言うか、数字のお化けと言うか、理系バカとしか言い様がない。

 

海軍力は、艦艇数や排水量の単純な総量で測れません。

軍港が必要だし(真珠湾は優秀な軍港)、個艦それぞれの性能や経年による。  

 

だから真珠湾という軍港を攻撃するなら、軍艦だけではなく、ドックや工廠を攻撃しないとダメなんです。

 

ちなみに、日本海海戦以来、日本海軍の全ての艦艇は艦隊決戦用に作られ、訓練から運用から全て、「来寇してくる敵艦隊を日本近海で迎え撃つ」漸減邀撃作戦に主眼が置かれていました。

真珠湾攻撃ミッドウェー海戦の様な「こちらからわざわざ、敵の勢力圏下に出て行く」という、博打的な発想は無かったわけです。

 

山本五十六は英雄」という無邪気性は国を滅ぼす

 

しかし、共産党シンパの半藤一利氏が絶賛する山本五十六は日独伊三国同盟が結ばれる前、即ち日米が関係がそれほど険悪になる前の1940年(昭和15年)4月には既に、福留繁 参謀長に真珠湾攻撃を示唆しています。

 

それから真珠湾攻撃にのめり込んでいくわけですがその翌月には、ドイツ軍がわずか1ヶ月でフランスを破りました。

第一次世界大戦においてドイツ軍が4年の歳月と約150万人の損害を出しても突破出来なかった西部戦線を、です。

 

この戦いでドイツ軍は、突っ込む時に全戦車を機甲師団に集めました。

急降下爆撃機で敵の陣地を叩いた後に、歩兵と戦車の突撃を併用するこの電撃戦を見て、山本五十六は空母機動部隊による航空立体戦に惹かれたのではないでしょうか。

 

あくまでも私見ですが、急降下爆撃機で敵の軍艦を攻撃して魚雷でトドメを刺すという真珠湾攻撃の戦い方は、このドイツ軍の電撃戦を海戦に転用したものでは。

そこからヒントを得たのでは。

と、私は考えています。

 

連合艦隊を己の賭博の道具にして、

非戦論者を気取っている山本五十六

 

どうしても石油が欲しいなら、アジアに油田地帯を持っている「オランダにだけ」宣戦布告すれば良かったのです。

本国オランダは降伏しているのだから、鎧袖一触です(史実でも、そうなりました)。

 

アジアに植民地がないアメリカの真珠湾への奇襲攻撃など、山本五十六の博打癖の延長でしかない

 

海軍は山本五十六下剋上的に軍令部を突き上げ、1941年7月の南部仏印進駐の後には永野修身 軍令部総長が帷幄上奏までして、アメリカとの戦争に踏み込んだ発言をしています。

対米戦を主張する永野に、昭和天皇は不信感を示されました。