横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

明菜は桜

ゴージャスに振る舞いながらも、ギリギリの所で「日本らしさ」を漂わせ、「日本女性的な一途さ」を根底に残していた明菜こそ、日本文化防衛の最後の旗手。

明菜さんは、人情がまだ辛うじて生きていた昭和の象徴。

その時代が終わって人情よりマネーが幅を利かす時代になり、明菜さんの居場所がなくなった。
としか言い様がない。

あれほど時代の中心にいた戦後最大級のスターが、あれほど短期間でセンターから去った人もいないと思います。

もしかしたら明菜さんは、昭和から平成に移るあの時代だからこそ大ブレイク出来た、あだ花的なアイドルだったという事でしょうか。  
明菜さんは、まさに桜。
 
確かに明菜さんは、そういった期間限定のあだ花的な「はかなさ」や「もろさ」と表裏一体だった。
 
その「はかなさ」や「もろさ」が彼女の最大の魅力だったわけですが、やはり、泥にまみれても生き延びてスキャンダルすら肥やしにする松田聖子みたいなしたたかさがなかったのだと思います。  
 
明菜ビブラートは今も健在なのでしょうが、歌唱力だけでは今の歌謡界で生き残れないのかも知れません。
 
「時代」がその人に活躍の場を用意して、役割が終わったら、その人に時代の表舞台からの退場を命じる…。
だとしたら、余りにもはかな過ぎる。
 
しかしそれがまた魅力であるというのが、明菜さんの逆説的な所だと思います。