横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

不世出の天才・中森明菜 ② The greatest singer in Japan

The greatest singer actress in Japan
 
彼女は己の心の闇を切り裂くかの様に、また、これまでの情念を叩きつけるかの様に、抜き身の刃物の様な鋭さで歌謡界の常識を次々と破っていった。
 
初期のツッパリsongの、たたみかける様なハイスパートなテンポのビートは、彼女の心に棲まう夜叉の鼓動かに感じられる。
夜叉(やしゃ)。 
古代インド神話に出てくる鬼神にして、悪鬼羅刹。  
彼女のこれらの素地は全て、幼児期の悲しみの中に胚胎したもの。
重篤なものを抱えて育った彼女の、胸をかきむしられる様な心象風景の現れだった。
 
とにかく…。
男も女も、真っ直ぐに前だけを見ていれば良かったあの時代。  
 
まだあどけなさを残しながらも、伸び伸びと歌う彼女の躍動感こそが、まさにあの当時の日本社会を表す「時代の合わせ鏡」だった。
   
今、彼女の曲を再び聴く人というのは、曲を通じて、己の青春と「あの時代の空気感」を味わっているのではなかろうか。

 

私達の心の中では今でも『ミ・アモーレ〔Meu amor e....〕』を歌う「あの頃の明菜」が躍動している。
鬱病の明菜ではない。
 
『DESIRE -情熱-』
もはや、トランス状態のシャーマン…
 
彼女は己の曲の世界観に全生命を叩きつけていた。
彼女が歌う姿には、鬼気迫るものがあった。 
DESIRE -情熱-』からは、妖気すら漂っていた。 
完全に「あっちの世界」に行っちゃっていた。
 
世はまさに、中森明菜の極盛期。  
 
二十歳かそこらで時代を切り開いていった彼女の切れ味は、さながら現代に甦った妖刀村正か。 
 

どんなにバブリーな振り付けをしても、根底に「日本女性的な一途さ」を感じさせる彼女は、当時、社会全体で日に日に薄れていった「日本的な情念」の、愚直な守り手であった。 

 

男が男であって、女が女であったあの時代…。 

 
彼女の曲は、あの時代に青春時代をひたむきに走り抜けた人達のDNAに刻まれた。

 

運命の女神は家臣の様に、或いはブッシュJr.の前に立つ小泉総理の様に、彼女に忠実だった。 

 

絶頂期の彼女は、出す曲、出す曲がメガヒット。 二十歳かそこらでレコ大 連覇。 

今のレコ大ではない。
昭和のレコ大である。 
 
オルレアンの聖少女よろしく、彼女のカリスマは冲天した。
戦争初期の南雲艦隊もかくや。
この頃の明菜の快進撃は、目もくらむようだった。 
運命の女神は、彼女の頭上を燦然と照らしていた。    

しかし…。

望外の幸せの裏では、それと同量の不幸の種が膨らむ。   
これだけの大幸運。 
反動が来ないハズが無い。  
 
「人情よりマネー」の平成の世には、昭和的なアイドルである明菜の居場所は無かった。       
巨大戦艦は、もはや時代遅れの遺物になっていた。

 

明菜のマインドは徹底徹尾、「昭和」です。 

明菜は「時代」と噛み合わなくなった。

 

かつてはハチ公よりも忠実だった運命の女神は、今や向かい風にすらなった。(続く)