明菜の前に明菜なく 明菜の後に明菜なし
日本経済が世界を制した、日本らしさの最後の名残りにして最後の栄光たる昭和の最末期。
彼女は一身で、その輝きを体現していた。
その時代の歴史に刻まれるほどの、記念碑的な顔。
おニャン子クラブはブームを作った。
彼女は「時代」を作った。
彼女の後を「時代」が追いかけていた。
後世の歴史家がこの時代を語る時、年号や事件名を羅列するよりも、彼女の顔写真を紹介した方がよほどこの時代の空気感を伝えられる。
もはやゴスペル
鳥肌が立つ魂の曲
この時代に青春時代を駆け抜けた若者達にとって、彼女こそが自らの青春の代弁者であり、彼女が歌い、舞うその一節一節に、自身達の青春が刻まれている。
まさにナンバーワンにしてオンリーワン。
不世出の天才。
She is No.1.
その名は中森明菜。
もはや四文字熟語。
30年以上前の映像なのに、劣化どころか深みを増している。
ノドではなく、魂で歌っている人。
いま聴いても新しく聞こえる不思議。
彼女の曲のイントロを聞くだけで、人々はいくつになっても、自らの淡い青春時代にほんのひとまたぎで戻れる。
『北ウイング』や『サザン・ウインド』が、あの時代の空気感に何と合致する事か。
「北」の次は「南(サザン)」という所もまた憎い。
あの時代に青春時代を過ごした人々は恐らく、「中森明菜」の強烈な記憶から、一生逃れられない。
人は失ったものと引き換えに 奇跡を授かる
幼児期の暗い生い立ち故でしょうが、彼女の心の闇は、底知れず深い。
しかし彼女は、少女時代に失った多くのものと引き換えに、奇跡を授かっていた。
デビューするやいなや、その心の闇の深さを逆手に取り、ブラックホールの様な吸引力で逆に人々を惹き付けていった。
地の底から這い上がって来るかの様な彼女の歌唱力。
日本中を魅力した、己の全存在をぶつけて来る圧倒的な表現力…。(続く)