しかし、あの時代に青春時代を過ごした人達にとって、「明菜」という単語は単なる人名以上の意味がある。
「明菜」
それは…。
一人の女性の儚さであり、寂しさであり、切なさであり、そして、二度と帰らない自らの青春や時代そのものの象徴である。
若くして世界を制した女王様の貫禄と、傷ついた小鳥の様な儚さと、小動物の様な可愛さと…。
その当時の人々は「あきな」という発音を聞くだけで、切ない気持ちになる。
そんな人物が、今までいただろうか。
彼女の「その後の歩み」を知っているからこそ我々は、絶頂期の明菜の曲を、愛惜感なしには聴けない。
そして逆に、全盛期とあまりに対照的な現在の姿が、尚の事あの当時を眩しくさせる。
明菜はまさに、時代の谷間に儚くも可憐に咲いた、一輪のあだ花か…。
50歳の節目たる2015年。
マネージャーいわく「人前に出せない」との事。
この先、このまま彼女は沈んでいくのだろうか…。パッと咲いてパッと散る。
明菜はまさに、日本の国花・桜…。
とにかく、90年代以降、彼女がかつての輝きを取り戻す事は遂になかった。
AKINA forever....
しかしだからと言って、彼女があの時代に刻んだ
輝かしい足跡は、少しも色褪せるものではない。
彼女があの時代に打ち立てた幾多の記録は、戦後日本史に燦然と輝く栄光の金字塔である。
いくら称賛しても、称賛しきれるものではない。
今後、彼女を超えるアーチストは、恐らくもう二度と現れて来ないと思う。
そして彼女自身の、あそこまでのかつての輝きも、恐らくもう戻らない。
逆にご本人も「もう、そっとしておいて欲しい」と思っているのかも知れない。
「あの頃の明菜」の輝きは、人々の記憶の中にのみある。
風と共に過ぎ去った時代である。
明菜とあの時代の輝きよ、永遠なれ。
The greatest singer actress in Japan, AKINA forever...