横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

不世出の天才・中森明菜 ③ AKINA forever...

しかし、あの時代に青春時代を過ごした人達にとって、「明菜」という単語は単なる人名以上の意味がある。  

 
「明菜」 
それは…。 
 
一人の女性の儚さであり、寂しさであり、切なさであり、そして、二度と帰らない自らの青春や時代そのものの象徴である。  
   
若くして世界を制した女王様の貫禄と、傷ついた小鳥の様な儚さと、小動物の様な可愛さと…。
 
その当時の人々は「あきな」という発音を聞くだけで、切ない気持ちになる。
 
そんな人物が、今までいただろうか。
 
彼女の「その後の歩み」を知っているからこそ我々は、絶頂期の明菜の曲を、愛惜感なしには聴けない。

 

そして逆に、全盛期とあまりに対照的な現在の姿が、尚の事あの当時を眩しくさせる。

 

明菜はまさに、時代の谷間に儚くも可憐に咲いた、一輪のあだ花か…。 

 

50歳の節目たる2015年。

マネージャーいわく「人前に出せない」との事。

 

この先、このまま彼女は沈んでいくのだろうか…。パッと咲いてパッと散る。 

明菜はまさに、日本の国花・桜…。

 
とにかく、90年代以降、彼女がかつての輝きを取り戻す事は遂になかった。   
 
AKINA forever....
 
しかしだからと言って、彼女があの時代に刻んだ
輝かしい足跡は、少しも色褪せるものではない。      
彼女があの時代に打ち立てた幾多の記録は、戦後日本史に燦然と輝く栄光の金字塔である。 
 
いくら称賛しても、称賛しきれるものではない。
 
今後、彼女を超えるアーチストは、恐らくもう二度と現れて来ないと思う。 
 
そして彼女自身の、あそこまでのかつての輝きも、恐らくもう戻らない。   
 
逆にご本人も「もう、そっとしておいて欲しい」と思っているのかも知れない。
 
「あの頃の明菜」の輝きは、人々の記憶の中にのみある。 
風と共に過ぎ去った時代である。 
明菜とあの時代の輝きよ、永遠なれ。 
The greatest singer actress in Japan, AKINA forever...