横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

イギリス首相 チャーチルの慧眼 ☆ 英国の落日

1941年12月10日、日本の海軍航空隊がイギリス海軍の象徴である虎の子の不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(POW)と高速戦艦レパルスを撃沈しました。

これは、世上言われている様な海軍だけの手柄ではなく、事前の2日間で陸軍の九七式戦闘機がマレー半島のイギリス空軍を殲滅していた事がサポートになっているのですが、ここでは割愛。

両艦の沈没の報に接したイギリスのチャーチル首相は、

「戦争の全期間を通じて、これほどの打撃を受けた事はなかった」

と、書き記しています。

その前年のロンドン空襲の時に、焼け野原にVサインで笑みを浮かべていたあの強気なチャーチルが、フランスの降伏よりも、シンガポールの陥落よりも、ビルマの喪失よりも、何よりもこの二隻の損失が痛かった、と。

そもそもチャーチルは、軍艦2隻の損失ぐらいで落ち込む人間ではありません。

その半年前のデンマーク海峡海戦ではドイツの戦艦ビスマルクが、4万3500トンの当時世界最大だった英戦艦フッドを砲撃し彼女(フッド)は数分で轟沈、POWも損傷を負いました。

その時にチャーチルは激怒して「いかなる犠牲を払ってもビスマルクを撃沈せよ」と檄を飛ばし、英海軍は動かせる全ての戦力を投入して数日後に戦艦ビスマルクを撃沈。

戦艦フッドの沈没とPOWの損傷で意気消沈どころか、逆に怒りに燃える男です。

しかし、POWとレパルスが沈んだ時は、戦争を通じて最大級の打撃を受けた、と…。     

つまりチャーチルは、POWとレパルスの沈没そのものより、

「イエローに、イギリスの象徴であるPOWがやられた」

という事がショックだったのだと、私は思います。

彼は日本の受験エリート将官とは違いますので、地頭のいい人間です。   

「これでイギリスの時代は終わりだ。例え戦争に勝ってもイギリスの栄光は戻らない…」

と、POWの撃沈で時代の流れが直感的に見えたのだと思います。

そして史実は実際に、その通りになりました。