横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-23から1日間の記事一覧

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️偵察機『彩雲』の彼方へ①

田中三也 先生 1923年(大正12年)生まれ。海軍少尉。 偵察機『彩雲』搭乗員。第343海軍航空隊。 田中三也先生は、光人社NF文庫からご著書も出版されています。 田中先生は「敵艦発見の第一電に、命を懸ける」偵察員として、1942年(昭和17年)8月の第二次ソ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️第343海軍航空隊①

杉野富也 先生 1925年(大正14年)2月生まれ 第343海軍航空隊。偵察機『彩雲』搭乗員。 福岡県 旧三池郡高田町のご出身。 三池炭鉱があった三池郡です。 杉野先生は、中学2年が終わった1942年(昭和17年)2月に海軍・佐世保航空隊で試験を受けられました。 1…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️第343海軍航空隊②

※①の続き 1945年(昭和20年)3月19日… 前の日の18日に、ベテランの古い人が偵察に出て、敵の機動部隊を発見しとったんです。 だから確信してました。 「明日は敵は必ず来る」 と。 その前、14、15日から第一配備だったんですね。 いつでも飛べる様に、外出は…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️「絶対に生きて帰って、家族に顔を見せろ」

「お前の切腹は俺が預かる」と、隊長に止められ、戦後は学校の先生に 織茂領 先生 1923年(大正12年)生まれ。 海軍飛行予備学生 13期。 第二河和海軍航空隊。 偵察機『彩雲』搭乗員。 ご本人いわく「親の反対を押し切って海軍航空隊に志願した」との事。 終…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️一式陸攻の雷撃②

人の悪口を言うたらいけん インタビューの最後に、天野先生に長生きの秘訣をお聞きしました。 …人間いうもんは、神様じゃないけん。弱点もあれば、いい所も悪い所もある。 だから、人の悪口を言うたらいけんのじゃ。 「あの人いやよ」言うてね、悪口は絶対言…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️一式陸攻の雷撃①

天野環 先生 1922年(大正11年)6月26日お生まれ。 松山ご出身で丙飛五期。 1942年(昭和17年)4月1日に三沢航空隊に入隊。その後はウェーキ島に行き、そこからミッドウェーの雷撃に向かい、その後にサイパンを経てラバウルに進出します。 1942年(昭和17年…

今こそ、伝えねば…戦争経験者インタビュー⭐️70年越しのラブロマンス

前述の今吉孝夫 先生 1932年(昭和7年)お生まれ。 終戦時は13歳。 鹿児島県加治木空襲を経験された方です。 加治木空襲時には、急降下爆撃の直後に被弾した敵機がいます。 先生はそれを目の当たりにしていましたが、被弾した敵機は一度ゆっくり上昇してその…

今こそ、伝えねば…戦争経験者インタビュー⭐️女子供も容赦なし

今吉孝夫 先生 1932年(昭和7年)お生まれで、終戦時は鹿児島県加治木中学1年生の13歳。 本土決戦に備える中、加治木空襲を体験されます。 Q.地上数十メートルですから、向こうは当然、女子供とわかって狙いを定めて機銃掃射してくるんですよね? A.そりゃあ…