今吉孝夫 先生
1932年(昭和7年)お生まれで、終戦時は鹿児島県加治木中学1年生の13歳。
本土決戦に備える中、加治木空襲を体験されます。
Q.地上数十メートルですから、向こうは当然、女子供とわかって狙いを定めて機銃掃射してくるんですよね?
A.そりゃあ、わかってますよ。米国の公文書を調べましたが、眼下にいる人間は全て戦闘員だとハッキリ書いてますから。女子供も戦闘員とみなしてるんです。
Q.先生は当時、13歳ですよね…。無差別爆撃や焼夷弾で目の前で人が死んで行くのを見て、怖くなかったですか?
A.怖くないですよ。もう、敵が来たら家族含めて全員死ぬ覚悟ですから。
Q.本土決戦が始まったら、戦うつもりでしたか?
A.もちろん全員、戦って死ぬ気でした。そういう教育ですから。
Q.「もう死ぬ」と決めたら、意外と開き直っちゃうものなんですかね…。当時の13歳とか14歳って、かなり大人なんですよね。
A.はい。当時、私達の地域では、小学校を卒業したら周りは大人と見ていました。もちろん、本人達も、その自覚です。
Q.13歳にして、この決意…。ところで今と戦前の日本。どちらがいいですか?
A.それは今の方がいいです。平和で有難いです。ただ、国として守らなきゃいけない一線を越えられたら、私は今でも戦う覚悟です。
…さすが、薩摩隼人の気風を残す鹿児島県民。やはり九州。特に鹿児島は別物です。
2017年12月 聞き取り