前述の今吉孝夫 先生
1932年(昭和7年)お生まれ。
終戦時は13歳。
鹿児島県加治木空襲を経験された方です。
加治木空襲時には、急降下爆撃の直後に被弾した敵機がいます。
先生はそれを目の当たりにしていましたが、被弾した敵機は一度ゆっくり上昇してそのまま下降。
パイロットはパラシュートで脱出出来ずに、火を吹いて機体ごと地上に落下。パイロットは戦死します。
そして村の人達は、この時に亡くなった米軍パイロットを、手厚く埋葬しました。
戦後長らく、資料を渉猟して「米軍側から見た加治木空襲」を調査していた今吉先生は何と、この時に戦死した敵パイロットの奥様と最近、連絡がつきました。
当然、相当なご高齢です。
奥様いわく…。
「夫が戦死した時には彼はまだ若く、それからは父親がいない幼い赤ん坊を育てなければいけなかった」
との事。 そして…。
「やっと夫の最期の様子を知る事が出来て、本当に良かったです。有難うございました」
今吉先生にそう感謝を告げた奥様は、まるで死亡状況を教わるのを待っていたかの様に間もなくして息を引き取られ、最愛のご主人の下に旅立たれました。
今頃は、約70年ぶりにご主人と再会されている事と思います。
敵兵を手厚く埋葬した村の人達も、また敵兵の奥様を探し出した今吉先生も共に誇らしいですが、奥様もご立派です。
「敵国」のラブロマンスですが、奥様のその偉大な婦徳に、私は一掬の涙を禁じえません。
「本物」というのは、国籍とか人種は関係ないのだと思います。
お二人のご冥福を心からお祈り致します。
天国のお二人に、幸あらん事を。
合掌…。