横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️第343海軍航空隊①

杉野富也 先生

1925年(大正14年)2月生まれ

第343海軍航空隊。偵察機『彩雲』搭乗員。

福岡県 旧三池郡高田町のご出身。

三池炭鉱があった三池郡です。 
 
杉野先生は、中学2年が終わった1942年(昭和17年)2月に海軍・佐世保航空隊で試験を受けられました。 
1942年(昭和17年)5月1日、土浦海軍航空隊に入隊。

1944年(昭和19年)4月1日、今の高知空港に飛行練習生として配属。

 

杉野先生のお話

入隊した時は、今の中学2年終わってすぐなのがたくさんいました。

藤沢にいる時には、週1回外出しました。 
葉山とか鎌倉とか江ノ島とか、そこらへんよく周らせてもらいました。 
懐かしいですよ。 
 
昭和20年2月1日、高知に帰還して、2月21日にいよいよ、松山第343航空隊 偵察第4飛行隊に配属になりました。 
 
343空。松山に来たのは初めてです。

それ以来、松山におります。 
 
私らも、爆撃か雷撃しかないと思ってましたが…。 
とにかく、瞬間で「今年の桜は見られんな」と思ったですね。 


それで、

「偵察だから『彩雲』かも知れん」

と言われて、

「これはしめた!」

と思いましたね。

これはね、練習生の頃から一番乗りたかった偵察機なんです。 
もう、本当に熱望して止まん様な偵察機です。

 

サイパンテニアンに悠々と偵察して「我に追いつく敵機無し」と報告したと、聞いてましたから。

練習生の時に、ワーッと言うたくらいですから「あれに乗りたい」

と思ってたんですね。だから、

「『彩雲』じゃないか」

と聞いた時は、

「やった!」

と思ったですよ。 
 
そして来てみたら、本当に『彩雲』だったんで、その時はもう、感激しましたよ。 
 
土浦航空隊に入った時に軍艦旗を仰いで入隊式をやった時は、

「よくぞ男に生まれけり」

という様な感激が、ありましたですね。 
 
高知に来て飛行服をもらった時も、

「やれやれこれで半人前の搭乗員だ」

という様な感激がありました。 
 
ですから私は3回ほど感激してるんですよ。 
そして3回目が『彩雲』に決まった時。

「よし、これだったら心中してもいいぞ」

という様なね、気になりましたですね。 
 
私が座っていたのは『彩雲』の後部座席です。後ろ向きに乗ってました。 
だから、後方の見張りが充分なんですよ。

 

怖くないか?ですか?

後ろ向きは、やっぱり怖いですよ(笑) 

ずっと後ろ向きですが、脚を折った時、3回ほどブン回されたですね。1番後ろだから、1番遠回りに回るわけですよ。 
もう自分では、どうにもならないですからね…

※杉野先生が、愛媛県内の掩体壕を案内してくれました。

この場所で、この壕で、『紫電改』が駐機していたのだ…。

※②に続く…