戦後に失われた日本精神は、任侠道という形で残っています。
日本精神は、支配者階級に現れた時は武士道となり、庶民に現れた時は任侠道となる。
任侠道。
それは庶民の武士道であり、アメリカが唯一切り崩せない、日本文化防衛の最後の砦。
つまり、江戸時代の庶民が、武士道を真似したもの。
それが任侠道。
私がここで言う「任侠」とは「暴力団」の事ではありません。
任侠道とは「生き方」の問題です。
ですので、八百屋の親父でも、トラックの親父でも、任侠道を貫く事は出来るのです。
そして義の為に生きんとする者にとって任侠道こそ、見果てぬ夢であり、ロマンであり、大義であり、青春であり、華なのです。
戦後の、ある有名な親分が言っていました。
「戦争から帰ってきたらアメリカに占領されていて、日本精神が残っているのはヤクザの世界だけだった」
と…。
要するに、
「他人の悲しみを我が悲しみと思う事」
「他人の為に喜んで犠牲の道を行く」
しかし実際にこれは難しい。
誰だって自分が一番かわいいし、強い相手は怖い。
だからこそ任侠「道」なのです。
つまり任侠道とは、
「そこにある到達点」ではなく「常に理想を目指して進んでいく道のり」
なのです。
ネバーエンディング・ロードなのです。
そしてこの任侠道の義理人情・仁義のテイストは、西洋人の思考回路では理解不能なのです。
と言うより、アメリカのグローバル企業にとっては、かつてのカミカゼ・ハラキリが連想されて、不気味なのです。
だからアメリカは、日本の警視庁に圧力かけてヤクザを潰しにかかっているのだと思います。
ヤクザの任侠精神が怖いから。
ヤクザというのは、日本独特なのです。
昭和までのヤクザは、市民に嫌われている様で嫌われていない。
私は神戸で、それこそ若者からお婆さんにまで何十人にもヒアリングしましたが、山口組について誰一人、批判しませんでした。
と言うより、
「あの人達は市民に手を出さない。むしろ悪いのから守ってくれる」
と、何と全員が山口組に好意的でした。
GHQは占領政策で大和魂と武士道は破壊したけども、任侠道は見落としてしまったのです。大和魂や武士道的なもので、形だけでも残っているのは任侠の世界だけだと思います。
彼らは「日本はとっくに制圧した」と思っているのですが、庶民に根付いたこの義理人情・仁義の任侠道だけは、アメリカがどうしても切り崩せない、日本文化防衛の最後の砦なのです。