横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

大正デモクラシーにのみ 責任を押しつけられない

私は、明治の文明開化こそ西洋崇拝の出発点であり、鹿鳴館マインド、近代啓蒙思想大正デモクラシーはその延長線上にある。

と述べて来ました。

大正デモクラシーとは「大正共産主義」の事であり、もちろんそれに類する白樺派も私は嫌悪していました。

しかし共産主義をあまり排撃する事は、裏返しで資本主義を無条件で礼賛する事につながる。

資本主義も共産主義も、共に近代西洋を産みの親とする異腹の兄弟です。

西洋は「主義」の国。日本は「精神」の国。

だから、近代啓蒙思想なり、資本主義なり、共産主義なり、そういったものでは日本を守れない。

この様に主張してきましたが、物事は片一方の極に傾いてはいけない。

つまり、大正デモクラシーのみを批判する事は出来ない、とも思います。

明治以来の急激な「上からの近代化」のシワ寄せで、一般労働者の権利なんかまるで顧みられなかった中で、労働者救済の道として社会主義共産主義がもてはやされた。  

つまり、大正時代に社会主義共産主義が求められたのは、それなりの理由があった。

この時代、極めて劣悪な環境で働く人々を救う労働者救済の道を拓いたのは、社会主義者共産主義者キリスト者であった。  

という事を、戦前の特高刑事が話していたという本を読んだ記憶があります。