横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍刑法に従って死刑に処すべきだった栗田健夫 海軍中将

海軍刑法に従って死刑に処すべき、1944年10月25日のレイテ沖海戦での栗田中将の敵前逃亡について…。

既に10月21日深夜に、敵輸送船団は陸軍部隊をレイテ島に上陸させていたので、仮に栗田が25日に突入しても、従来言われてきた様に、

戦艦大和の主砲が火を吹いて、陸兵ごと敵輸送船団は木っ端みじん」

にはならず、むしろ負けたであろうと、最近の研究では言われている。

完全に、「たら・れば」の話だが、データを見る限り、私もそう思う。

特に、向こうにはフレッチャー型駆逐艦が24隻も揃っているのが大きい(こちらの駆逐艦は8隻)。

戦艦大和の主砲の射程距離が敵の戦艦より長いと言っても、サマール島沖海戦の状況を見ると、精度を上げるには20キロ以内に接近して砲撃する必要がある。

そうすると、大和自慢の「射程距離の長さ」は、意味がなくなる。

大和はアイオワ型戦艦が登場した事によって、一周遅れのトップランナーと言うか、強いは強くても既に一世代前のウェポンになっていた。

そもそも、大和と長門の主砲は、実戦での命中率は驚くほど低かった。

実戦と訓練は違う。

サマール島沖海戦において、至近距離からの大和、長門の主砲は、ほとんど、もしくは全く当たっていない。

それはやはり、司令長官たる栗田中将の「怯懦」や「近迫精神の欠如」に起因すると考えられるが、数でも圧倒していた日本最強の戦艦部隊が、6隻の護衛空母と7隻の駆逐艦群すら、殲滅出来なかった。

「射程距離が長い戦艦大和の主砲が火を吹けば、レイテ湾口の敵は木っ端みじん」

というのは、理系の受験エリート官僚である海軍上層部による机上の空論であり、単なる数字遊びに過ぎない。

しかし…。

もし栗田中将が決死の覚悟で艦隊を率いて突撃していたならば、例えこちらが負けたにせよ、敵も無傷でいられなかったとは考えられる。

また、陸軍部隊の上陸を既に完了させたとしても、海岸には敵の物資が山積みになっている。

そこを砲撃すれば、在レイテ島の友軍への、強力な側面支援となる。

また何よりも…。

「帝国海軍ここにあり」の、意気は示せたと思う。
国民も、納得する負け方だと思う。

そしてそれは、戦後の精神的復興に大いに役立つ。

しかしそれらの一切を放棄した、栗田中将の敵前逃亡罪。

海戦後、その罪は一切問われなかった。

「上に超甘く、下に超厳しい」海軍上層部の腐敗した無責任体質が、ここに極まっている。

栗田中将にも言い分があるだろうし、山本五十六よりは遥かにマシだが、それにしても、一万五千人の部下将兵がレイテ湾突入の為だけに命を捨てて戦った以上、国益を大きく損した罪は逃れられない。