横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

明治政府による西洋崇拝主義

明治政府がやった事は「日本らしさ」を捨てた、西洋の物真似です。何でもかんでも西洋は素晴らしい、と、それをグローバルスタンダードとしてそれに合わせてきた。

鹿鳴館なんか、まさにそう。

明治の開国時に、田舎から出て来た長州藩出身の政治家達が、西洋文明のきらびやかさに
酔ってしまって「日本らしさを捨てる事が進歩だ」と、勘違いをした。

それが「文明開化」の実態です。
更に、福沢諭吉に見られる様な近代啓蒙思想。   みんな西洋の上っ面だけの物真似なのです。
その延長が、西洋崇拝の大正デモクラシー。 大正共産主義ですね。

その大正デモクラシーの信徒達が、戦後日本の学会や文壇を支配したのです。阿川弘之とか。
そして日本海軍は英国が作ったので、海軍のエリート達は、この近代啓蒙思想のレールに乗るのです。

この信徒達からすると、日本の武士道とか大和魂が、バカに見えるわけです。

明治以降の高等教育は、西洋に追いつき追い越す為のものだから、学校の勉強をやればやるほど、日本的なものが劣ったものに見える。

いわんや切腹なんていうのは、極東アジアの野蛮な風習にしか見えない。

明治以降のこれら西洋崇拝主義の源流は、6世紀の仏教伝来から、だと私は思う。  

もしくは、それ以前の弥生鉄器文明の伝来から。あれ以降、日本人には、舶来の物が輝いて見えるのだと思う。
本当は日本が一番なのに…。