西洋文明への憧れの上に築かれた明治の行政府。長州藩はイギリスの後ろ盾で明治維新をやったので、どうしても西洋コンプレックスがある。
そして、日本の土俗性を無視して西洋の上っ面だけ取り入れたのが、その明治の文明開化であり大正デモクラシー。
という話はしました。
翻って現代。
古い建物を壊して近代的なビルディングを建てる事が、何か「進歩の証」と考えている節がありますが、これこそまさに現代の鹿鳴館マインドだと思います。
大きなビルをたくさん建てても、同じだけのものを失っているんです。
都会の高層ビルの生活…。
もしかしたら、モノは豊かでも、地方よりも精神は貧しいのかも知れない。
そもそも、先祖の魂と共に、歴史と共に生きるという事から豊かな精神性や文化が生まれます。
先祖の霊と一体化して、悠久の歴史を感じて背負って生きる事こそ、人間として尊い生き方。
これを忘却してオートロックの高級マンションだなんだと物質的繁栄に生きても、中身は空虚なのでは?
物質的にどんなに栄えても、それを支える精神性がなければ、単なる「物崇拝」です。
現代は、人間がモノの奴隷になっている。
死生一如・敬神崇祖という日本人としてアイデンティを取り戻さないと、経済不況は脱出出来ないのでは。
今は都会から文化が生まれていますが、これからの資本主義は大地に密着し、農村から文化が生まれるようにしないとダメだと思います。
特にお米は日本のアイデンティ。
昭和天皇も米に存在の基盤を置き、最後まで米の出来•不出来を気にしていました。
事実、米の不作によって昭和の混迷が始まりましたから。