沖縄には、もはや戦後の日本が失った素晴らしいものが、まだたくさん残っています。
かの地では、大東亜戦争はまだ生きています。牛島中将が自決した6月23日には毎年、老いも若きも関係なく、県民を挙げて喪に服します。
若者向けのラジオ番組でも一日中「戦没者追悼」の内容をオンエアします。
左右のイデオロギーも関係ありません。
あくまでも「戦争で亡くなった全ての日本人を追悼」です。
本土では考えられません。
3月10日に、東京の若者達が集まって空襲犠牲者を少しでも追悼しますか? しませんね。
また、本土の保守は沖縄の事を「反日左翼だ」と、単純に レッテル張りしますが、実に皮相的な見方です。
本土で耳にする「沖縄情報」と、現地に立って体感する「リアル沖縄」とでは、全然違います。
沖縄の一部の方々が一見、日の丸や皇室に反感を持っている様に見えても、そこには日本本土に対する憧れだったり、ジェラシーだったり、「取り残された」感だったり、愛憎入り交じる葛藤があるのです。
また何より沖縄には、日本本土が明治以降の近代化の過程で失った価値観が、まだ生きています。
つまり沖縄は、古代縄文神道が、まだ生活に根付いているのです。
沖縄には、大陸渡来の弥生文明(鉄器文明)がありません。
だから、シナ文明に毒される以前の、つまり、自然を神と仰いで先祖を崇拝していた古代日本の原型が、そのまま冷凍保存されているのです。
久高島のイザイホーなんて、卑弥呼そのものです。
そして私は、沖縄に息づいているこの古代縄文神道こそ、数百年続いた西洋文明に代わる文明だと思っています。
「現世肯定」「清く、明き」古代縄文神道の世界観が、沖縄では生きています。