横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

大正デモクラシーの弊害 ②

複雑な実社会や経済のあり方を「人間の頭で考えた理論」で測ろうとするのが、大正デモクラシー(大正共産主義)の流れを汲むインテリです。
しかし、コップの水で地球の海水の量は計れないのと同じで、人間程度の浅知恵で、社会や自然の全てを汲み取れるわけがない。
「理論」の網の目で掬い上げる事が出来る部分など、ごくわずか。
物事を考える時に「伝統」を基準にするのが保守。
「理論」や「理屈」を基準にするのが左派。
しかし、これは計画経済と一緒。
人生が理論通りにいくわけがないんです。
 
男女平等フェミニズムも同じで、家族や男女のあり方を人工的な理論を当てはめて、こねくり回そうとしている。
 
一方、伝統とは浅はかな人智を排除した数百年、或いはそれ以上の年月の人間の自生的(スポンテニアス)な営為の蓄積であり、そこには民族の叡智が潜んでいます。
文明社会の文明性は「人間が頭で考えた理論」を越えた伝統を破壊したら、崩壊します。
伝統に裏付けられた倫理道徳というのも、理論では説明出来ません。
 
出光佐三は、人間の意識を変えようとした。
マルクスは、社会構造を変えようとした。
これが保守と左派の違いです。
社会の構造を変えるのではなく、人間の意識を変える事が先だと思います。
マルクスは、わかっていて確信犯的にわざと真逆を述べている可能性もありますが…。
 
…「国境なきグローバリズム」という新自由主義のスローガンも実は隠れ共産主義ですが、大正デモクラシーの延長にある今の学校の勉強の勝ち負け論もまさにグローバリズムであり、国士を生む教育ではありません。
 
そもそも、学校の勉強自体が部分学だから、やればやるほど「全体」が見えなくなるという落とし穴がある。  
逆に言うと、日本弱体化の為に、「全体が見えるジェネリスト」たる日本人を育てない意図的な悪い仕組みが、今の学校教育に組み込まれているのかも知れません。