横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍上層部の大罪 ②

10倍の戦力で出撃して、逆に10倍の死者を出して大敗北を喫したミッドウェー海戦

死者3000人は山本五十六南雲忠一の無能な作戦指導により殺されたとしか言い様がない。

太平洋の戦いは、防者が有利。

守っていればそう簡単に負ける事はないものを、わざわざ敵の勢力圏下に出て行って、しかも無意味に兵力を分散させた事が敗因の一つではありますが、決戦正面にのみ限定して見ていきます。

よく「勝利の唯一の機会」と言われる第二航空戦隊 司令官 山口多聞 少将からの「直チニ攻撃隊ヲ発進ノ要アリト認ム」との具申に仮に従っていても、この海戦に勝てたとは言い難い。 

この時点での一航艦の艦攻隊は、ほとんどが陸用爆弾へ換装されており、水平爆撃による陸用爆弾での対艦攻撃は効果が期待出来ない。

だからこの時点で直ちに発艦可能なのは、二航戦の艦爆36機。

こちらも陸用爆弾であったが、急降下爆撃機なので命中すれば徹甲弾と大差はない。

従ってこの36機が出撃する事になるが、この場合は史実の「空母飛龍のゼロ戦6機・艦爆18機」ではなく「空母蒼龍と飛龍の艦爆36機」となる。

この時点でゼロ戦は米軍機の迎撃に投入されており、艦爆隊の護衛に付ける余裕がなく、南雲中将が発進をためらったのも、当然か。

だから、仮に山口少将の具申に従って直ちに出撃したとしても、その時点で護衛のゼロ戦が付かないのと、そもそも30分遅れて発進した重巡利根の偵察機が敵空母の位置を完全に間違えて報告していたので、出撃しても戦果が上がらなかった可能性が高い。

史実において空母飛龍の艦爆隊がアメリカ艦隊に辿り着けたのは、帰投する敵機の後をつけたから。

また、日本海軍は攻撃一本槍で、偵察や情報管理といったソフト面が非常に弱く、何より、機動部隊の偵察機の数が絶対的に少ない。

「そんな余裕があれば、攻撃機にまわせ」

という事で、偵察や情報収集を軽視している。

アメリカは逆にそういったソフトにこそ力を入れているのと、全く対照的です。

そして実はアメリカの空母は1隻あたりの搭載機数が多いのと、ミッドウェー基地航空隊も加わっているので、実は航空機の数は日米で差がない。

日本の第一航空艦隊の4隻の空母で263機。

アメリカ側は3隻の空母で152機+ミッドウェー基地航空隊115機。合計267機

つまり、むしろ決戦正面においては、何とアメリカ側の方が多いのです。

次に、この海戦を制した艦爆隊について。

日本側の命中率38%。

これは、迎撃機や激しい対空砲火の中、動く敵艦に対しての飛龍艦爆隊のこの数字は、やはり驚異的。ここだけ見たら、圧倒的に世界一だと思います。

一方のアメリカ側は18%。

日本側には劣りますが、これも高い数字です(珊瑚海海戦時の日本の艦爆隊の命中率9%よりも高い)。

そして何より…。

日本の九九艦爆は250キロ爆弾。

アメリカのドーントレス急降下爆撃機は450キロ爆弾。

それならば当たれば当然、アメリカ側が強い。

こうなると、戦記物によく書かれている様に日本の艦爆隊だけが優秀なのだとは、とても言えなくなる(しかし艦攻隊に関しては、確かに日本側の方が遥かに上)。

それと何よりも、そもそもミッドウェー海戦はミッドウェー島の攻略が目的なのか、敵空母の撃滅が目的なのか、目的がよくわからない。

アリューシャン列島に行った空母2隻は、一体どんな戦略があったのでしょう。

また、前線から500キロ後方にいた戦艦大和以下の本隊は?

これらは戦略的にも戦術的にも全く無意味であり、国民には窮乏生活を強いておきながら、自身達の俸給や勲章の為に出撃して、単に燃料を無駄に浪費しただけ、という事になります。

つまり海軍の作戦設計には「戦術」や「戦技」はあっても「戦略」が無く、行き当たりばったりなのです。

この様に列挙すると、ミッドウェー海戦は「あと5分あれば勝てた」等というスリリングなサスペンスものか推理小説の様なものではない事がわかります。

敗因は、連合艦隊司令部の、

「目的の欠如」

「場当たり的な出たとこ勝負」

「偵察や情報といったソフトの軽視」

「自分に都合のいい状況認識」

にあり、これはミッドウェー海戦に限らずに、戦争を通じて海軍の作戦指導全般に見られるこの組織体の宿痾であり、問題は日本海軍という官僚組織の構造自体にあると言える。

大局の失敗は個々の奮闘ではひっくり返せない

悔しいですが、ミッドウェー海戦もやはり負けるべくして負けたと言えるのかも知れません。