横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍上層部の大罪 ⑥

終戦時の総理大臣 鈴木貫太郎

退役はしていましたが、海軍士官は終身官ですので、彼はこの時点でも海軍大将です。

私は、この鈴木貫太郎 首相の責任こそ、米内光政 海軍大臣と並んで最も重いと考えています。

彼の責任はたくさんありますが、全てはここで紹介出来ません。

その一つ、原爆投下についても、彼の配慮の欠如が招いた事は明白です。

発せられたポツダム宣言に対するアンサーとして、米内光政 海軍大臣がインスパイアしたと言われる、鈴木首相の「黙殺する」発言。

「仲介を頼んだソ連からの返事が来るまで待ってみよう」というのが、米内と鈴木のこの海軍コンビの根拠らしいが、何を寝ぼけた事を言っているのでしょうか。

ソ連は、日本の天皇制打倒を公然と掲げている国です。そこからの好意的な返事を待つとは、一体どういうつもりでしょうか。 

鈴木首相は「スターリン西郷隆盛の様な人だから」と発言し、好意を期待していたのです。

この「黙殺する」が「拒否」と受け取られ、アメリカは原爆投下を決断します。

「この発言の責任を痛感している」というコメントを、戦後に鈴木首相は残しています。

しかし、ミッドウェー海戦の後に「この責任は僕にある」と言ったわりには責任を取らなかった山本五十六と同じで、責任というのは「ある」なら「取る」ものです。

「取らない責任」に意味はありません。

海軍大学校で学び、海軍水雷学校長、海軍兵学校長を勤め、連合艦隊 司令長官や海軍軍令部長といった海軍の要職を歴任した鈴木貫太郎による、国益を損ねた様々な「罪」についても、私は糾弾していくつもりです。

当時、77歳だった鈴木首相。

痴呆症が進んでいたと私は見ていますが、それにしても免罪理由にはなりません。

鈴木貫太郎 総理への責任追及はなぜか、戦後、全くと言っていいほど、されて来ませんでした。だからこそ逆に怪しいと思います。

批判どころか、むしろ「終戦美談」として称賛されて来ましたから。ますます怪しいです。