「山本五十六は部下想いの人間提督」なんて、情緒的な安っぽいエセヒューマニズムでしかない
提督が人間なのは当たり前です
山本五十六は何と、1940年9月に日独伊三国同盟が結ばれる約半年前には、連合艦隊参謀長の福留繁 海軍少将に、開戦劈頭での真珠湾攻撃について示唆しています。
その後は「必ずやる。反対する者は辞表を出せ」と、独裁者として強権を発動し、真珠湾攻撃に一直線に進み、ハルノートの到着時には既に南雲艦隊の出撃を完了していました。
開戦を決めるのは政府です。
軍隊が戦争するかどうかを決めては、絶対にいけない。
山本五十六が主導した真珠湾攻撃は、彼のバクチ癖の為に艦隊を私物化した、戦略無視・外国無視のとんでもない大暴走であり、大権私議という大罪です。
山本五十六のバクチ癖が、結果として100万人の陸軍将兵の餓死・戦病死、並びに200万人とも300万人とも言われる夥しい戦没者に、ドミノ倒しの様につながっています。この方達は、本来は死ぬ必要がなかった人達です。
開戦前の国家の基本方針であった「インド洋制圧」「太平洋方面は赤道と日付変更線は越えず」を、山本五十六が守っていたら、ここまでの戦死者は出なかった。
そしてこの戦没者達は、日本最良の人達です。
つまり「山本五十六 英雄論」を説く人は、幾百万の戦没者を冒涜している事になる。
「思想なんて、社会から有毒と思われて、かつ、それを貫く事で社会と正面衝突する位でないと本物ではない。形にハマった既製品に、変革は無理」
これが、私がかつて感銘を受けた言葉です。
だから私は、善悪が倒錯した戦後日本で英雄視されてきた山本五十六を糾弾します。
勝てる戦争を自滅的な大敗北に導いた山本五十六の敗戦責任を直視せずに、個々の兵士の奮闘を称揚するのは木を見て森を見ず、です。