三島由紀夫 先生いわく、意見というのはそれを貫く事で社会と正面衝突するくらいでなければ本物ではない。
大衆迎合的で生ぬるく平均化された、毒にも薬にもならない意見は、意見ではない。社会が提示した、最大公約数的な「人畜無害な価値観」の型に、自分をハメ込む必要はない。
三島由紀夫 先生自体が、そういった「時代に牙を剥く」アンチテーゼな生き方をした方です。しかし「時代に牙を剥く」のが、真の愛国者だと思います。
例に出すのもおこがましかったですが、今までの保守系人士がほとんど語らなかった「山本五十六を始めとする海軍上層部の敗戦責任」。
私はこれに遠慮なく踏み込みます。
敗戦責任の追及というのは、耳障りのいい、甘い言葉だけでは済まされない問題です。
ある意味、痛みを伴う改革です。
しかし、そもそも大東亜戦争の時の敗戦責任者またはその子孫達が戦後日本の支配者階級なのですから、敗戦責任の追求なんて、政治家や官僚自身がやるわけないです。
かつての仲間や上司を批判すると、ブーメランの様に自分に返って来てしまうので。
戦後、国会議員になった源田実自体、「真珠湾攻撃」と「東京大空襲」をバーターにして、チャラ、相殺しようとしましたからね。
真珠湾攻撃、ミッドウェーでも、実質的な頭は源田ですから。
そうは言っても源田は山本五十六と並び、保守の中でも人気は高いのです。
しかし、大正デモクラシー的な「山本五十六へのシンパシー&日本陸軍への嫌悪」は、そのまま裏返しで「反日」に通底しているのを、戦後日本人はどうして見抜けないのでしょうか?
10分の1の相手にボロ負けしたミッドウェー作戦が、どれだけ祖国滅亡に直結したか…。
この作戦を強引に進めて大敗北をした山本五十六を、どうしたら崇拝出来るのでしょうか。
日本の宝とも言える海軍将兵3000名の戦死者の無念において、異論の余地はありません。