横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

明治の「脱亜入欧」の間違えている点

脱亜入欧は、明治時代の在野のスローガンです。

福沢諭吉の『脱亜論』からの引用ではありません。

話がそれますが、福沢諭吉

「近代啓蒙思想に心酔する西洋かぶれ」か、それともサムライなのか。

福沢諭吉については評価が別れますが、私は個人的には嫌いです。

まず、顔からして嫌い。

人間は、ある程度 歳をいくと「顔」に出るのです。

あの「のそー」っとした顔が、私には山本五十六にダブって見える。

五十六もそうですが二人ともファイターの顔でない。理屈が優先する左翼インテリの顔です。

福沢諭吉とか山本五十六とか吉田茂、特に後者二人の顔というのは「権力にあぐらをかいている人間の顔」に私には見える。

これは特に吉田茂の顔がそうなのですが…。 日本の民百姓の方を向いていない。イギリスの国際金融資本の方を向いている顔をしている。

ただ、以上はあくまでも私の主観です。

また、公人とは言え、他人の容姿を揶揄するのは、確かに控えなければなりません。

話を戻します。

福沢諭吉の「脱亜論」は、

「朝鮮・中国といった悪友とは手を切れ」

という文脈で一定の評価をされています。

近代啓蒙思想家だろうと西洋かぶれだろうと、この点は慧眼だ、と。

それに対し「脱亜入欧」の意味は、

「日本も西洋的な価値観に染まって、西洋的なやり方で西洋に向き合おう」

という意味ではないでしょうか。

  「日本的・武士道的なやり方で、西洋に向き合おう」

ではない気がします。

そしてこれは、後々まで尾を引きます。

大東亜戦争時、それ以前に海軍大学校で学んだ人間達が海軍の指揮を執るわけですが、彼らは海軍大学校で「兵法」や「武士道精神」を学んで来たわけではなく「西洋の軍事学」です。

つまり彼らは、日本古来の「兵法」「武士道」ではなく「西洋の軍事学」であの戦争を指揮して、大失敗したのです。

その遠因が明治の欧化政策にあり、「脱亜入欧」にある、と言ったら言い過ぎでしょうか。