横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

血の一滴まで捧げ尽くして戦った日本陸軍 ①

欧州の地上戦で、日系人部隊が余りにも強すぎるので「この民族は根絶やしにしないとダメだ」と、ルーズベルト大統領は思ったらしいのです。

アメリカで生まれ育った日系二世達からなる第442連隊戦闘団は「日本人」ではなく「アメリカ人」ですが「日本人のDNA」は100%流れています(彼らは日本人と同一に見られるのを非常に嫌がりますが)。

戦の天才・源義経以来、日本人は陸上戦闘に天賦の才能があるのだと思います。

大東亜戦争では、米軍は自分が勝てる状況を作るまでは戦いを仕掛けて来ないので、それこそ数百倍の火力差で日本陸軍に挑んで来ましたが、それでもこちらの士気は一向に衰える事なく、血の一滴まで捧げ尽くして戦いました。

その圧倒的な火力差がありながら、ペリリュー島、ビアク島の日米の損害はほぼ互角。

アンガウル島に至っては、火力の差ではなく兵隊の数だけでも約17倍の米陸軍の損害の方が、日本陸軍より遥かに大きい。

また、敵の損害が大きいという点では「ジャワの極楽、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア」と言われたニューギニアの戦い。

20万人が参加して9割が亡くなったと言われている戦いです。

時系列が上記の戦いから一年ほど遡りますが、その東部ニューギニアで1942年11月から翌年1月まで繰り広げられた、日本陸軍が海軍陸戦隊と混成で米豪軍を迎え討っての「ブナ・ゴナの戦い」。

アメリカ陸軍の公刊戦史に「世界第一の激戦(Toughest Fighting in the World)」とまで書かれたこの戦いも、人数・火力共に勝る米豪軍を相手にこちらの損害は戦死者7000人。

これに対して敵の死者2000人。しかしこれには負傷兵が含まれていません。

日本軍は全滅するまで戦いますが、敵は負傷兵は後送されます。

この時の敵の負傷兵の数は私はわかりませんが、だいたい死者1に対して負傷兵は3。

これを基準に考えると、向こうの損害の方が大きいという事になります。

また、これは米軍の全ての戦闘にあてはまりますが、実は彼らの損害にはプラスアルファの「暗数」があります。

その戦いの負傷が原因でしばらくしてから亡くなった兵隊は、時にはその戦いの死者に含まれない。

更に、戦争が終わって帰国した兵隊の中には、しばらくすると精神に異常をきたしてそこら辺の植物を食べたり、突然大声を出したりして、ほとんど社会復帰出来ない人間も出て来る。

これもその戦いの損害に含まれない(この事象は、イラク帰還米兵の話を聞けばわかると思います)。

そういった事を考慮すると、様々な局面での日本陸軍の奮闘がいかに凄まじかったか、がわかると思います。