三島由紀夫 先生は、
「愛国心という言葉が嫌いだ」
と言いました。
その意味は…。
「愛国心」という言葉には、何か上から与えられた官製の匂いがする。
また、アメリカみたいに人工的に「外に向かって」作られた国なら、愛の対象を客観視した「この国を愛する」という言い方はわかる。
しかし、日本みたいに自然発生的に出来た国で、自分もその国の中にいる一員なのに、愛の対象をわざわざ向こう側に置いて「この国を愛する」とか言うような所に、何かわざとらしい作為的なものを感じる。
日本人なら、わざわざ「愛国心」なんていう官製の言い方をしないで「大和魂」でいいじゃないか。そっちの方が自然じゃないのか。
…というのが、三島由紀夫先生のご意見です。
僭越ですが、私は更にひとひねり加えて…。
大和の国というのは、近畿地方が中心だと思います。
関西圏は「大和国(やまとのくに)」。
我々関東者は「武蔵国(むさしのくに)」。
関西が「大和魂」なら、関東者は「武蔵魂」と言えるのではないか、と思いました。