ある先生いわく…。
大根の輪切りみたいに「今」の連続が人生。
寝て起きたら「明日」ではなく「今」。
来月の予定というのは「今」に組み込まれた未来の予定に過ぎない。
過去の楽しさや過去の悲しさというのも「今」に組み込まれた過去の記憶に過ぎない。
「今」の「心」と書いて「念」。
人生は「念」。
人生は「今」目の前にいる人こそ最愛の家族と思って、最大の愛を注ぐ事しか出来ない。
だってその人は明日、交通事故で亡くなるかも知れないから。
しかし「今」最大限の愛を注いでいれば、万が一明日、その人が交通事故で亡くなっても自分は悔いはない。
「自分はあの人に精一杯の事をしたんだ」
と思えるから。
そこから先の運命は、神が決める事。
人生は、自分の意思で生きている様に見えて、見えない何かに支配されている…
所詮、人生は「運」次第。
個人の頑張りや努力、意思とは無関係に、人生は進みます。
だから自分に出来る事は、「今」目の前の人・もの・事に全力を尽くす事。これだけしかない。
「今」目の前の楽しい出会いには、実はその裏には別れを宿している。
桜がなぜ美しいか。
それは、美しさの絶頂に、間も無く訪れる「終焉」を宿しているから。これが無常観。
青春も、はかないものです。煙の様にはかない。 なぜなら「今」の若さのすぐ後に「青春の終わり」が迫っているから。
青春時代なんて、あっという間に過ぎ去ります。
気がついたら40、50です。
終わりや別れは必定。
だからこそ「今」目の前の一期一会に全てを懸ける。
これが、その先生から教わった無常観であり、日本人の生命観の基本です。