繰り返しますが大東亜戦争の戦没者は、ちゃんと敵と戦えて亡くなった兵隊さんは、一割いるかいないかです。100万人が餓死、戦病死。
そんな状況を知りながらこれを言うのは、はばかられますが…。それでも敢えて言います。
もちろん、亡くなった時の状況に依りますが…
「戦争で亡くなった兵隊さんが羨ましい」
と、私は思っていた時期がある。今でもその思想的傾向がある。
「自分が信じる理想に殉じて死を迎えるなんて、こんなに幸せな事はない」
と。
生きるだけが幸せではありません。
命を捨ててでも尽くすべき理想に一直線につながっている生き方をして、その結果それで死ねるなんて、幸福の極みです。
私もそういう死に方がしたい。
死後の世界があるとかないとか、そんな事はどうでもいいです。永遠の眠りで構いません。「人はパンのみにて、生きるにあらず」
新約聖書マタイ伝第四章にある聖句です。
人間には、生命以上の価値があります。
日本弱体化の第一歩である明治9年の廃刀令によって惹起した神風連の乱がまさにそうですが、ポリシーで生きている人間は、ポリシーを捨ててまで生きられない。
大東亜戦争において大日本帝国陸軍は、常に数百倍の火力の敵を相手に士気は一向に衰える事なく戦い、最後は軍司令官以下、全員割腹自決で幕を閉じます。
「勝つか、死ぬか」
しかありません。
「降伏の辱めを受けるよりは死を」
最後の最後まで戦った後の切腹は、勝利に匹敵する。こういった日本精神というのは、西洋人には理解出来ないのです。
1万人いても3万人いても、本当に全員戦死するまで戦うのは世界の歴史で日本陸軍だけです。